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第16回 アメリカ車:序章(4)1924~1929年
2013.2.27


 今回は1924年から29年までのアメリカ車について紹介する。
 1926年6月、アメリカ独立150年を記念してフィラデルフィア万国博覧会が開催され、会場に設けられた7万台収容の駐車場が自動車の大衆化を物語っていた。しかし、万国博は折からの世界不況の影響で入場者数は650万人ほどで、1915年に開催されたサンフランシスコ博のおよそ1/3に過ぎなかった。
 「暗黒の木曜日」と言われる1929年10月24日、株価の大暴落後いったんは回復したが、5日後の「悲劇の火曜日」と言われる10月29日に再び大暴落し、大恐慌となった。その後の4年間で米国のGNPは30%ダウン、失業率は25%に及んだという。こうして米国の「ローリングトゥエンティーズ(Roaring Twenties):狂騒(あるいは狂乱)の20年代」は終焉を迎えた。

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1924年ドーブル(Doble)モデルE蒸気自動車。おそらく蒸気自動車の最高傑作ではないだろうか。冷えた状態から走行可能になるまで僅か90秒という素晴らしいボイラーシステムをボンネットの下に収め、5215cc4気筒125馬力/1300回転エンジンをリヤアクスルに積み、最高速度は160km/hに達した。価格は8850~9750ドルで生産台数は45台であった。ドーブルは1914年に発売され1931年まで生産された。この写真はフォード博物館で撮影したもの。

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1925年アルコア/ピアス・アロー(Alcoa/Pierce-Arrow)のアルミニューム実験車。1920年にアルコア(Aluminum Company of Americaの頭文字をとった名称)社の技術者によって、軽量化実験のために設計されたクルマで、6322cc直列6気筒75馬力のアルミエンジンを積み、ステアリング、ブレーキ、ホイール、フロントアクスルハウジングおよびボディーなど約85%にアルミが使われており、ボディーを含め大部分がダイキャストで造られている。少なくとも15台生産されたが、当時はまだアルミ材が市場に普及しておらず、量産には至らなかった。車両重量は1380kgで、当時のピアス・アローの量産セダンが1590kgほどであったから、200kgほど軽量であったようだ。この写真もフォード博物館で撮影したもの。

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上の2枚は、1908年発売から19年間に1500万台生産されたT型フォードの後継として、1927年10月に発表され、12月から発売されたフォード モデルA。3288cc 直列4気筒Lヘッド40馬力エンジン+3速変速機を積み、ホイールベース2629mm、4輪メカニカルブレーキが装着された。価格はロードスターの480ドル~4ドアセダン(Fordor)の585ドルで、他に600ドルのタクシーキャブが設定されていた。表紙のモデルはスポーツクーペで、下のイラストは左上から時計回りにロードスター、2ドア(Tudor)セダン、フェートン、4ドア(Fordor)セダンで、他にクーペ、トラックおよびタクシーキャブがラインアップされていた。モデルTからモデルAへの生産設備の切り替えの不手際から1927年型の生産は僅か36.7万台で、初めて100万台生産したシボレーにトップの座を明け渡してしまった。

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1928年5月に登場したシボレー初の本格的コンバーティブルであるコンバーティブル・スポーツ・カブリオレ。ホイールベース2718mmのシャシーに2804cc直列4気筒OHV 35馬力エンジン+3速変速機を積み、価格は695ドル。バンパーが付いていないが、この頃バンパーはオプションであった。塗色がRomany Red Ducoとあるが、デュコ(Duco)はGMRC(General Motors Research Corp.)で開発され、デュポン社が製造販売した速乾塗料で、シボレーには1925年に採用され、塗装工程の作業時間が劇的に短縮された。
 1928年型の生産台数はシボレー119万台、フォード61万台でシボレーがトップを維持していた。しかし、1929年型ではフォード151万台、シボレー133万台でフォードがトップに返り咲いている。この年の3位以下はハドソン/エセックス30万台、ウイリス・オーバーランド/フイピット(Whippit)24万台、ポンティアック/オークランド21万台と続いていた。

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これは1929年1月に登場した広告だが、非常に珍しい1929年型シボレー・ランドウ・コンバーティブルセダン。リヤクォーターがコンバーティブルになっており、価格はシボレーでは最も高い725ドルであった。しかし、シボレーの車格には分不相応ということで、300台生産されたあと2度とカタログに載ることは無かった。イラストの後方にはコーチ、クーペ、4ドアセダンが並ぶ。
 1929年型シボレーはすべて6気筒エンジンに換装され、広告コピーは「4気筒の値段で6気筒!(・・・a Six in the price range of the four!)と謳っていた。エンジンは3182cc直列6気筒OHV 46馬力で、燃費は7.1km/ℓであった。

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これはGMヘリティッジセンターに所蔵されている1929年型シボレー・ランドウ・コンバーティブルの後ろ姿。

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上の3枚はGMがキャディラックとビュイックの価格帯の隙間を埋めるべく、キャディラックの姉妹車として1927年に発売したラサール(LaSalle)。いちばん上はロードスター(2525ドル)で、残り2枚はGMヘリティッジセンターに所蔵されているコンバーティブルクーペ(2635ドル)。いずれもランブルシート付きの2/4人乗りで、同じボディータイプのキャディラックより820ドルほど安かった。ホイールベース3175mmのシャシーに、新開発の4969cc V型8気筒75馬力エンジンを積む。
 1920年代の中ごろになると自動車メーカーは顧客をショールームに引き寄せるには、魅力あるスタイル、ファッション、塗色などが不可欠だと悟り、自前のデザイン部門を持つようになる。1927年6月にGM最初のデザイン部門「アート&カラー セクション」が設定され、最初のボスとしてハーリー J. アール(Harley J. Earl)が就任し、1959年にリタイアするまでの32年間GMデザインを率いた。1927年型ラサールは彼がGMのためにデザインした最初の作品で、GMに入社する前にコンサルタントとして完成させたものであり、彼のお気に入りであったイスパノ・スイザの影響が色濃く表れている。プロのスタイリストによってデザインされた米国における最初の本格的量産車ではないだろうか。
 もっとも1914年にはロコモービル(Locomobile)はフランスから来たフランク・ドコーズ(Frank de Cause)をカスタムボディー部門に迎え、同じ年にホワイトはやはりフランスから来たレオン・ルベイ(Leon Rubay)を雇っている。彼は1920年にはピアス・アローの要請で60種もあったボディースタイルを10種に絞り込む仕事を請け負っている。1916年にはスチュードベーカーもカスタムボディー部門にJ. H. ブルゴン(Bourgon)を迎えていた。

 以下に1920年代も終わりに近いころの高級車の広告をいくつか紹介する。

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上の3枚は1927年型リンカーン モデルL コーチング・ブローアム(Coaching Brougham)で、最初の写真はカスタムモデル・カタログからの1枚。あとの2枚は米国のネバダ州リノにあるナショナル・オートモビル・ミュージアム(旧ハラーズ・コレクションの一部を引き継いだもの)で撮影したもの。英国の旧い馬車を模したもので、塗色もイングリッシュコーチングカラーの黄色と黒が用いられている。ボディー架装はジャドキンス(Judkins)。エンジンは6310cc V型8気筒90馬力。

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これは1927年スタッツ シリーズAA バーチカルエイトクーペ(Stutz Series AA Vertical Eight Coupe)の広告で、欧州調のウエイマン(Weymann)による軽量なファブリックボディーを架装している。「The Improved New SAFETY STUTZ」とあるのは、1926年にシャシーの大幅な改良が行なわれ、重心を下げるためアンダースラング方式が採用され、ファイナルドライブはウォームギア、4輪油圧ブレーキを採用するなどの安全策が採られたためである。またウインドーガラスにはワイヤー入りの安全ガラスが初めて採用されている。エンジンは6気筒から4904cc直列8気筒OHVデュアルイグニッション95馬力に換装された。さらに、すべての新車は工場から数マイル先のインディアナポリス・モーター・スピードウェイに持ち込み、慣らしを兼ねて240kmに及ぶテストを実施した後納車された。ちなみに1927年スタッツの生産台数は2906台、価格は3350~5185ドルであった。スタッツはモータースポーツでも活躍し、欧州でも人気のあった数少ないアメリカ車のひとつであった。エットーレ・ブガッティ(Ettore Bugatti)も購入し、フランスでスタッツのディーラーをやりたいと本気で語ったそうである。
 大恐慌の後、1930年には1038台、1931年310台、1932年206台、1933年80台、1934年6台、1935年2台と落ち込んでいったが、1936年にはまだニューヨーク証券取引所に上場されていたし、既販車のオーバーホール、あるいは部品を買って自分で組み立てる「パッケージカー」の需要にこたえていた。しかし、1937年4月、27年間の活動に幕が下ろされた。総生産台数は約3万5000台であった。

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1927年型クライスラー・インペリアル 80 タウンセダン。インペリアルはクライスラーの最上級グレードで、なかでもタウンセダンは、他のインペリアルが2495~3595ドルであったのに対し5495ドルの高価なモデルであった。ホイールベース3378mmのシャシーに4733cc直列6気筒92馬力エンジン+3速変速機を積む。多くがこのイラストのようなツートンカラーに塗装されていた。

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1928年型パッカード・カスタムエイト・フェートン。パッカードは1899年に創業した高級車メーカーで、1901年から誇りをもって使われてきた「(真価は)所有者に聞け(Ask the man who owns one)」のコピーがPACKARDの文字の下に確認できる。エンジンは6310cc直列8気筒109馬力。1916年型に登場したツインシックス(12気筒)エンジンは1924年型の8気筒登場と同時に落とされたが、1932年に再度復活してマルチシリンダー・レースに挑戦する。広告に記載された価格は標準モデル2275~4550ドルで、特別注文モデルは3875~8725ドル。このイラストのモデルは発売時には3875ドルであったが、7月には2925ドルに値下げされ、8月にはさらに2575ドルというバーゲン価格で売られた。「ドーナツ・キャッチャー(Doughnut catcher)」の愛称を持つ立派なラジエーターキャップが付く。余談だが、私はクラブが発行する機関誌が欲しくて、日本に二人しかいない米国のパッカードクラブのメンバーの一人となっている。

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「実際の価格より数千ドルは良く見える」のコピーで登場した1929年型ピアス・アロー(Pierce-Arrow)モデル143 オールウエザー・タウンカー。ピアス・アローは1901年創業の高級車メーカーであったが経営難に陥り、高級車を持たなかったスチュードベーカーに1928年8月、570万ドルで買収された。1929年型はフルモデルチェンジを受け、エンジンは6気筒から6000cc直列8気筒デュアルキャブレター125馬力に換装され、4速変速機が積まれた。ホイールベースは3378mmと3632mm(143in)があり、価格は2775~8200ドルであった。このイラストのモデルは5750ドル。新車効果もあり1929年は生産台数9800台の新記録を達成するが、大恐慌によるダメージは大きく、1938年に17台生産したのを最後に市場から消えていった。
 このイラストはアドルフ・トレイドラー(Adolph Treidler)の作品だが、右に小さく印刷されているのは、彼が20年前、最初にピアス・アローを描いた作品で、20年後に彼が帰ってきたとあるので、その間ご無沙汰であったようだ。ともにニューヨークの街を背景としている。
 1920年から1929年の10年間に米国に設立された自動車会社は、ざっと数えて156社に及ぶが、同時に多くが消えていった。


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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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