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第14回 アメリカ車 :序章(2)フォード モデルT(1908年~1927年)
2012.12.27

 今回は「ティン・リジー(Tin Lizzie:ブリキのリジー)」の愛称でアメリカを埋め尽くしたフォードT型について紹介したい。ちなみに、「リジー」とは女性の名前「エリザベス」の愛称で、信頼のおける使用人をさす俗語でもある。広大なアメリカにおいて必要不可欠であった馬。その馬に代わる日常の足として庶民に仕えたT型にふさわしい名前であろう。
 1908年10月に発売されたT型フォードはホイールベース100インチのシンプルなシャシーに4気筒2.9ℓ 20馬力エンジンと2速の遊星歯車式トランスミッションを積み、車両重量は544kg(ツーリングモデル)と軽く、最高速度は70km/h程度であった。1927年5月25日に生産を終えるまで、改良は何度か加えられたが、大きな変更なく約1501万台生産された。単一モデルでのこの記録は、1972年2月17日にフォルクスワーゲン・ビートルに破られたが、T型はわずか19年間に達成しており、この記録は破られていない。ビートルは2003年にメキシコで最後の生産を終えるまでに約2153万台生産されている。

 T型が米国や自動車産業にもたらしたものは多いが、いくつかを挙げると、
◆ヘンリー・フォードの理想とする、良いクルマを安く造り、だれでも買えるよう、世界初の流れ作業による大量生産方式が採用された。新設されたハイランド・パーク工場で、1913年4月、フライホイールにビルトインされたマグネトー組立に採用し、1914年1月には車両組立に導入された。生産台数は1909年の1万3000台弱から1921年には約93万台、1923年には最高の約192万台、全世界では201万台に達した。価格は1909年の825~1000ドルが1925年には260~660ドルまで引き下げられている。
◆1914年1月、1日の最低賃金を2.34ドルから、2倍以上の5ドルに引き上げ、同時に労働時間を9時間2交代から8時間3交代に変えた。従業員だれでもがT型を買えるように配慮したとも言われるが、実情は工員の定着率が低く、欠勤率は高く、大量生産方式に支障をきたすための対応策であったようだ。
◆T型の普及に伴って、カスタマイズすることが流行。5000種にも及ぶカスタマイズ用アクセサリーが出回り、アフターマーケット・ビジネスが誕生した。当時のカタログを見ると、4輪駆動に改造するキットまで存在した。現在アメリカでのアフターマーケット・ビジネスの市場規模は年商数百億ドルと言われる。
◆エンジンはいまでは常識の一体構造のブロックと脱着可能なシリンダーヘッドをはじめて採用。主要部品に強度の高いバナジューム鋼を採用して、信頼性を高めるとともに軽量化を図っている。
◆「ティン・リジー」の愛称とともに、大衆文化の格好なネタになり、映画、歌、まんが、コメディ、ジョークに数多く取り込まれている。

 T型はイギリス、フランス、日本を含め多くの国で生産された、おそらく最初の「グローバル・カー」と言えるのではないだろうか。そして、1999年には世界32ヵ国、133名のジャーナリストによって、3年かけて厳選された、20世紀の最も偉大なクルマとして「カー・オブ・ザ・センチュリー」の栄冠を授与された。

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1908年に発行されたカタログから、最も人気のあったツーリング・モデル(850ドル)とシャシー。最初期のもので、2ペダル、2レバー・タイプである。最初の800台(史料によっては500あるいは1000台)だけで、後に3ペダル、1レバーに変更するためのレトロフィットキットがフォードによって用意された。

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1908年に発行されたカタログから、左は850ドルのロードスターで、後部に1人分の脱着可能なバケットシートが付くが、幌もかからず前席とは完全に隔離されるので、親不孝者は「Mother-in-law seat(しゅうとめ用シート)」と呼ぶ。ランニングボード上のタンクはガス式ヘッドランプ用のアセチレンガスタンク。ダッシュランプ2個とテールランプ1個は石油ランプが使われていた。右のクルマは950ドルのクーペで、フォード初のクローズド・モデルであり、厳しい環境を嫌う女性やお年寄りに人気があったが1912年型のカタログからは落とされてしまった。しかし、1917年型から復活した。

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これも1908年のカタログで、左は1000ドルの5人乗りタウンカー。右は950ドルのランドーレット。ランドーレットは僅か300台生産され、1910年型のカタログからは落とされてしまった。

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T型はアメリカ車に左ハンドルを定着させたモデルであった。T型出現までは右ハンドル、中央ハンドルが入り乱れていたが、右側通行では左ハンドルが安全面、利便性でベストであると判断されたようだ。
1908年発行のカタログに載った、左ハンドル標準化の利点のひとつとして、当時の車道はぬかるみが多かったことから、歩道のある場所では靴を汚さずに乗降可能だと訴えている。左側にブレーキレバーがあるので、当時T型への乗り降りは右側から行なっていたことが分かる。ちなみに、1903年のA型から1908年のS型までのフォードはすべて右ハンドルであった。

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左は生産初期の800台ほどに採用された2レバー、2ペダル・タイプの運転席。リバースの操作をペダルではなく、レバーを引いて行なう。右は1927年型まで変わらなかった3ペダル、1レバー・タイプの運転席。左側ペダルはハイ&ロー・クラッチで少し踏むとニュートラル、一杯に踏み込むとロー、放すとハイ。中央のペダルは踏み込むとリバース。右側ペダルはブレーキでトランスミッションに作用した。ハンドブレーキは後輪に作用した。

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上の2枚は1909年6月に開催された、シアトルからニューヨークまで6598kmを走破する大陸横断レースで、悪路に悪戦苦闘するT型と、真っ先にニューヨークにゴールしたT型とこれを出迎えるヘンリー・フォード。所要時間は22日と55分、平均速度12.5km/hであった。しかし、途中でアクスルの交換をしたため失格となってしまう。
 レースにエントリーしたのは35台であったが、実際にスタートしたのは僅か6台で、1位はT型と同じ日に到着したシャウマット(Shawmut)、2位は同じ日にゴールしたもう1台のT型フォード、3位は7日後にゴールしたアクミー(Acme)であった。イターラ(Itala)とスターンズ(Stearns)は完走できなかった。(Photos: Ford Motor Co.)

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1911年型のモデル・バリエーション。これらはすべて同一のシャシーに架装されている。ランニングボード上の円筒状のものはガスランプ用のガス発生装置で、カーバイドに水を滴らせてガスを発生させる。その昔、夜店の明かりとして強烈なにおいを発していたのと同じ代物。

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1912年型のカタログに登場した690ドルの4ドア・ツーリング。4ドアと言っても左フロントドアは開閉できず、実際は3ドアであった。左ハンドル車への乗り降りは右側から行なっていたということ。ツーリングの左前ドアが開閉可能になるのは1926年型からであった。

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1912年型のカタログに登場したデリバリー。ベアシャシーに外部で架装したものは多いが、これはカタログに載った純正モデル。しかし不評で、1年で落とされた。生産台数は2358台(内513台は1913年型として売却)。価格は700ドルであった。

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1915年型のカタログに登場した5人乗り2ドア・セダン。ドアの位置が中央にあるので、センタードア・セダンと呼ばれた。この年、カウルが曲面となり、エンジンフードにルーバーが追加され、初めて電気式ヘッドランプが採用された。価格は740ドルで、この年のT型で最も高価なモデルであった。1915~1916年にかけて米国におけるフォード車の保有台数は100万台に達し、米国を走るクルマのおよそ4割はフォード車であった。

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1915年型のカタログに登場した2人乗りクーペレット(Coupelet)。幌を上げた状態での気密性は高く、ヘンリー・フォードが最も実用的な2人乗りモデルとして売り出したが、期待したほど普及せず、1917年型を最後に落とされ、代わりにクーペが再登場している。価格は590ドルであったが、1914年型終了間際に750ドルで発売されていた。幌の開閉は2分でできると記されているが、もちろん手動であり、現代のリトラクタブル・ハードトップならボタン一つで20秒足らずでやってのけるのだから技術の進歩とは恐ろしい。

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1918年型1トン・トラックシャシー。1917年に開発され、量産は1918年型から開始された。ホイールベース124インチ、フレーム、スプリングなど各部が強化され、ファイナルドライブはベベルギアからウォームギアに変えられている。1919年型からクローズド・モデルにはスターターモーターが標準装備されたが、オープン・モデルとトラックは1925年型までオプションであった。価格600ドル。円太郎バス用1924年型シャシーは365ドル。スターターモーターとディマウンタブル・ホイール付きは430ドルであった。1917年型から乗用車を含め、高価な真鍮製ラジエーターシェルはスチール製の黒色のものに変更されている。

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1923年9月の関東大震災によって東京市電は壊滅的な被害を受け、代わりの輸送手段として、東京市は翌年1月に800台のT型トラックシャシーを緊急輸入し、国内で簡素な11人乗りバスボディを架装して運行した。「円太郎バス」である。都バスの元祖でもあり、フォードに日本への工場進出を決断させるきっかけになったとも言われる。この写真は2002年東京モーターショーに展示されたもの。

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1923年型ツーリングカーのカタログ。この年オープン・モデルのフロントウインドシールドが初めて傾斜した。ここでは新しい購入方法「Ford Weekly Purchase Plan」を紹介している。発注後毎週5ドルをディーラーに払い込むと、銀行に預けられて金利分が加算されていくというデポジット方式で、車両価格に達するとクルマが引き渡される。この方法で2年間に30万台以上売れたという。カタログには「早く購入の決断をしなさい。さもないとフォードの生産は間に合わないので長いこと待たされますよ」とあおっている。ちなみに、1923年型の生産台数は約183万台で、2位のシボレー約32万台と比べても圧倒的な強さであった。

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上の写真左は1923年に登場した待望のフォード初の4ドアセダン(フォードはFordorと称する)で価格は725ドルであった。右は同時に発売された2ドアセダン(フォードはTudorと称する)で、センタードア・セダンに代わるモデルと言えよう。価格は595ドルでクーペと共に人気モデルとなった。(Photos: Ford Motor Co.)

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1924年6月4日、ラインオフした1000万台目のT型フォード。このツーリングカーはニューヨークに搬送され、当時フォードのレーシングドライバーであったフランク・クリック(Frank Kulick)のドライブでリンカーン・ハイウエイ(全線開通したのは1925年)を通ってニューヨークからサンフランシスコまで大陸横断を敢行した。(Photo: Ford Motor Co.)

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1925年型ピックアップ。260ドルのランナバウトにピックアップ・ボディを載せ281ドルで買えた。スターターモーターとディマウンタブル・ホイール付きは366ドルで85ドル高であった。T型は乗用だけでなく、このようなモデルあるいは1917年型から登場した1トン・トラックシャシーなど、現在のライト・トラックの元祖と言えよう。(Photo: Ford Motor Co.)

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上の2枚は1926年型後期~1927年型のカタログ。T型は黒の塗色しかないと言われるが、発売当初は赤、青、緑、灰色も用意されていた。1909年の中ごろから濃い緑、1911年から濃い青になり、1913年の早い時期から1926年まで黒だけとなった。当時、速乾性のカラーペイントが無く、唯一黒(ジャパン・ラッカー)だけが耐久性、速乾性があり、大量生産に適していたという事情による。その後、1923年に速乾性のニトロセルロース・ラッカーが開発され、ボディーカラーの自由度は広がる。1926年の途中から緑、青、茶、えび茶、灰色が設定されている。
 1926年型からツーリングモデルの左フロントドアが初めて開閉可能となり、名実ともに4ドアとなった。クローズド・モデルにはニッケルメッキされたラジエーターシェルが採用され、1927年型では全モデルに標準装備された。1926年1月からワイヤホイールがオプション設定され、1927年型最終段階で一部の生産工場では標準設定となっている。
 1926年型ではクローズド・モデルの価格は引き下げられたが、オープン・モデルは引き上げられている。例えば、ランナバウトは1926年2月、260ドルから290ドルに値上げされ、6月にはスターターモーターとディマウンタブル・ホイールが標準となり、価格は360ドルとなった。

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上の3枚はT型最後の年となった1927年に日本フォード自動車から発行された日本語版カタログ。「優美で耐久力ある新式塗で仕上げたフォード乗用車」のコピーと、パイロキシリン(Pyroxylin)塗装であると解説している。日本フォードで組み立てられたT型は、The Model T Ford Club of America創設者の一人Bruce McCalley著「Model T Ford」(1994年Krause Publications)によると、1926年はトラックのみで524台。1927年にはトラック3088台の他、イラストの上から順に、ランナバウト29台、ツーリング2657台、クーペは生産されず、4ドアセダン(Fordor)178台、2ドアセダン(Tudor)122台で乗用車合計2986台と乗用車シャシー369台が生産されている。

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1927年5月にラインオフした1500万台目のT型フォード。同月25日に19年間にわたる生産を終え、モデルAにバトンタッチした。(Photo: Ford Motor Co.)

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フォード・モーター社は2008年に「Tパーティ2008」のタイトルで、T型フォード生誕100周年を祝うイベントのサポートを決定。まず初めに同年7月、インディアナ州リッチモンドで1週間にわたって、モデルTフォード・クラブ・オブ・アメリカ主催のパーティが開催され、世界中から1000台近いT型と約2万人のオーナーおよびエンスージアストが参集したという。上の写真はパレードの様子で、単一モデルのパレードでは最も長いものとしてギネスブックに登録された。
もう1枚は、カリフォルニア州ランカスターから約4800kmを走破し、ミシガン州ディアボーンのフォード本社に到達したT型たち。(Photos: Ford Motor Co.)


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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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