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第13回 アメリカ車 :序章(1) 登場~1919年
2012.11.27

 1945年8月、第二次世界大戦が終結すると、日本のまちは一変した。 クルマは少なく、馬車がパカポコとのんびり行きかい、子供達の遊び場だった道路には、進駐軍の持込んだジープをはじめ、世界中のクルマがやってきた。 まだ、クルマが庶民のものではなかった時代、なかでも、戦後から1960年代にかけて、華やかで元気だったアメリカ車を、驚きと羨望の眼差しで眺めたものであった。 最近、この時代のデザインがノスタルジーを込めて見直され、現代風にアレンジされて登場している。 すばらしいデザインは、時間を経ても色あせないものだ。 最も輝いていた戦後のアメリカ車の変遷を、当時のカタログと広告で振返ってみようと思う。 そこには、ビッグ3に果敢に挑み、消えていった"インディペンデント"と呼ばれた独立系メーカーのクルマたちも多く、思わぬ発見があるかもしれない。
 本題に入る前に、アメリカ車の登場から戦前までの軌跡を超簡単にたどってみたいと思う。蒸気エンジンを積んだクルマのアイデアは18世紀の後半には登場していたが、実際に稼働し始めたのは19世紀の中ごろ、1850年代に入ってからのようだ。では、アメリカで最初にガソリンエンジンを積んだクルマは? 1891年に開発を始め、2年後に完成した「デュリア(Duryea)」だと言われてきたが、1888か1889年から開発をはじめ1891年に完成したという「ナディグ(Nadig)」というクルマが存在した。しかし、特許申請などの公式記録がなく、結論が出せない状態が続いているようである。

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これは1896年にヘンリー・フォードが最初に製作した「クヮドリサイクル(Quadricycle)」。968cc直列2気筒4馬力エンジンを積む。車両重量227kg。最高速度32km/h。デトロイトの借家の裏にあったレンガ造りの小屋で、クララ夫人の協力のもと完成したクヮドリサイクルは、ドアが狭くて外に出せず、レンガの壁を斧で壊して引き出したという。1896年6月4日午前4時、デトロイトの街にさっそうと繰り出したが、途中で点火装置のトラブルのため動けなくなり、近くのホテルの滞在客から罵声を浴びせられたと言われる。恐らくものすごい爆音であったのだろう。このクルマは現在ヘンリー・フォード博物館にガラスのケースに入れられて展示されている。

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フランクリンミントから発売されたクヮドリサイクルのミニチュア。良く出来ている。

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世界初の量産車、1901年オールズモビル モデルR「カーブドダッシュ(Curved Dash)」ランナバウトの広告。「オールズモビルによる事故無し」のコピーを付けて馬車の暴走シーンを載せている。この時代はまだ馬車全盛期であり、ほとんどの人たちがクルマを信用していなかったので、ライバルはクルマではなく馬車だった。「クルマはシンプルで丈夫、しかも運転者の意のままにすかさず反応し、運転中は道路以外に何も注意することが無い」と訴えている。
 1558cc単気筒4馬力エンジン+プラネタリーギア2速トランスミッションを積み、ホイールベース1676mm、全長2413mm、燃費は12.8km/ℓであった。価格は650ドル。生産台数は1901年425台、1902年2500台、1903年3924台であった。当時、オールズモビルの販売拠点は58店と記載されている。
 オールズモビル・カーブドダッシュはトヨタ博物館で実物を見ることができる。

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これはGMヘリティッジ・センター(Heritage Center)で撮影した1904年オールズモビル モデル6C「カーブドダッシュ」。この年、マイナーチェンジを受けエンジンが1935cc単気筒7馬力に強化された。生産台数は2233台。
1905年にはモデルBとなり1239台、1906年300台、そしてカーブドダッシュ最終年の1907年はわずか200台で、オールズモビルの主力はより高価なモデルに移っていった。カーブドダッシュの価格は最後まで650ドルであった。
オールズモビルは1903年(4000台)、1904年(5508台)、1905年(6500台)の3年間はアメリカ市場で販売シェア1位であった。

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1905年キャディラック「オッセオラ(Osceora:インディアン酋長の名前)」。 キャディラックの創始者ヘンリー M. リーランドの依頼で造られた、クローズドボディ検討のための、おそらくGM初のコンセプトカー。 1907年型キャディラック・モデルM・クーペとなって発売された。 1610cc単気筒10馬力エンジン+2速トランスミッションを積み、ホイールベース1880mm、車両重量363kgであった。この車は1933、34年シカゴ世界博覧会に出展されたあと、20年間シカゴの科学・産業博物館に展示されていた。 その後、1953年にヘンリー・リーランドの孫娘の発案によって修復され、現在はGMヘリティッジ・センターに所蔵されている。

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これは1907年セルデン・モーターバギー。内燃機関いじりを趣味としていた特許専門の法律家ジョージ・セルデン(George B. Selden)が、内燃機関を動力とするすべての自動車を対象とする特許を1895年に取得。1899年に特許権はエレクトリックビークル社(The Electric Vehicle Company)が買い取り、クルマ造りをする企業にライセンス供与をはじめた。その後、1903年にALAM(Association of Licensed Automobile Manufacturers)という企業連合を設立し、ライセンス供与する企業の決定、1台あたり1.25%の特許使用料の徴収を図った。
 折しも、1903年にフォードが初めて発売したA型が特許侵害でALAMに提訴される。フォードは特許使用料を払うべくALAMと調整したが、なぜか拒否され、長い法廷闘争に入ってしまった。1909年9月、裁判所はフォード敗訴の裁定を下すが、フォードが控訴し、1911年1月、上級裁判所はフォード勝訴の裁定を下し、フォードが勝利するとともに、自動車の爆発的な普及をもたらすことになった。セルデンはこのような結末を予測していたのではなかろうか。やがて価値のなくなる特許を見事に売り抜けたと言えよう。
 上の2枚はセルデンの特許を実証するため、特許申請に添付された図面に基づいて1907年に2台製作されたうちの1台で、現在ヘンリー・フォード博物館に展示されている。前輪駆動で、直列3気筒2馬力エンジンと車輪、サスペンションは一体化されており、左右に90度回転する。車体に貼られた1877の数字は特許申請した年を示しているが、これは間違いで1879年が正しい。

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これは1908年パッカード「サーティー」ランドウレット(Packard Thirty Landaulet)。1899年に登場したパッカードは高級車としての地位を着々と築いていった。1907年に登場した「サーティー」は7083cc直列4気筒30馬力エンジン+3速トランスアクスルを積み、ホイールベースは1908年には1.5in延長されて123.5in(3137mm)であった。フォードT型のツーリングモデルが850ドルで買えた時代、このクルマはシャシー3800ドル+ランドウレットボディー1850ドル+ボディーのシャシーへの取付け料50ドル、合計5700ドルと高価であった。1908年型の生産台数はツーリング、ランナバウトなどを含め1303台であった。

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これは1908年から1912年にシアーズ・ローバック社(Sears, Roebuck and Co.)から通信販売された、1909年シアーズ・モーターバギー(Sears Motor Buggy)。1700cc水平対向2気筒10~12馬力エンジンを積む。価格は370ドルで、幌とフェンダーはオプションで25ドルであった。通信販売はディーラーの手数料をカットでき、近くにディーラーの無い人々には好評であったが、販売店が整備されるに従い、役目をおえた。写真はヘンリー・フォード博物館にて撮影したもの。シアーズ・ローバック社は戦後の1950年代初めにカイザーフレーザー・ヘンリーJを「オールステート(Allstate)」の名前で通信販売している。

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クルマの脇に展示されていたシアーズ・カタログの1909年秋号。395ドルは幌とフェンダー付きの価格である。

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1911年ベイカー・エレクトリック(Baker Electric)の広告。草創期のアメリカ車には多くの電気自動車が存在した。当時のガソリンエンジンを動力とするクルマの操作は現代の様に簡単ではなく、操作が簡単で静かな電気自動車は女性に絶大な支持を得ていた。ベイカー・モータービークル社(The Baker Motor Vehicle Co.)の設立は1899年で、クルマの生産は1900年に2シーターの電動バギーでスタートした。おそらくアメリカ車初となるシャフトドライブを採用していた。1907年には450kg~5トン積トラックも発売されたが、1910~1914年をピークに販売は下降し、1916年に生産を終了している。頻繁に必要な充電の煩わしさ、航続距離の短さに加え、ガソリン車の操作性の向上、道路インフラの整備に伴い移動距離が延びたことなどが電気自動車衰退の原因であろう。
 最近、環境にやさしいということで、電気自動車が見直され、普及しようとしているのは興味深い。

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1913年パッカード38ツーリングのカタログ。当時のオープンカーで雨風を避けるには、図のようにサイドカーテンを張り巡らさねばならなかった。6806cc直列6気筒60馬力エンジン+3速トランスアクスルを積み、ホイールベース3403mmであった。

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1914年デトロイト・エレクトリック・ブローアム。ヘンリー・フォードが奥さんに贈ったクルマそのもので、現在はヘンリー・フォード博物館に展示されている。自動車が普及するまでは年間1万5000台ほどの馬車を生産していたアンダーソン・キャリッジ・マニュファクチュアリング社(Anderson Carriage Manufacturing Co.)が、1907年から「デトロイト・エレクトリック(Detroit Electric)」の名前で電気自動車の生産を開始した。同社は当時、世界最大の電気自動車メーカーであった。1911年に社名をアンダーソン・エレクトリックカー社に改め、さらに1919年にはデトロイト・エレクトリックカー社に改めている。生産はガソリン車の普及に伴い減少していったが1938年まで生産されていた。
1922~1927年にかけてデリバリーバンの生産も行われていたが、この車体にガソリンエンジンを載せて成功したのが「ディブコ(Divco)」である。

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上の2枚は1918年シボレー・エイト5人乗りツーリングのカタログ。1915年にキャディラックから量産型エンジンとしてはアメリカ初のV8が発売されたが、2年後の1917年にシボレーに搭載されて登場した。OHV(オーバーヘッドバルブ)クロスフローのシリンダーヘッドを備え、4723cc で55馬力であった。ツーリングのほかに4人乗りロードスターがあったが、V8モデルがカタログに載ったのは僅か2年だけで、1919年にはラインアップから落とされ、1955年までシボレーセダンにV8が搭載されることは無かった。生産台数は合計2781台。ちなみに、ライバルのフォードにV8が載ったのは1932年であった。シボレーは1918年にGMグループに加わっている。
 1915年にはパッカードがアメリカ初のV12気筒エンジンを「ツインシックス(Twin Six)」の名前で発売している。このエンジンには初めてアルミピストンが採用されていた。
 
 自動車草創期のアメリカでは驚くほど多くの自動車会社が生まれ、ざっと数えただけで1899~1909年に489社、1910~1919年に220社が設立されている。
 今回はフォードT型について触れなかったが、次回はT型に絞って紹介したいと考えている。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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