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第12回 AF+VKの世界:1959~1971年型ポンティアックのカタログ
2012.10.29

 戦前から、自動車のカタログには、写真とともに、商品のすばらしさを訴求するための表現が自由に出来るイラストレーションが多用されていた。アメリカが元気な時代、企業も宣伝広告費に多額の予算を計上し、毎年大きく変化するスタイルを魅力的なイラストで表現したカタログが制作され、「ライフ」「コリアーズ」「サタデイ・イブニング・ポスト」などの雑誌を飾る広告がつぎつぎと生み出されていた。
 自動車に限らず、あらゆる商品がイラスト広告を使った時代であり、イラストの需要に応えるべく、マクナマラ・アソシエイツ、グラフィック・ハウスなど多くのアート・ストゥーディオが存在し、所属アーティストたちが作品を競い合った。限られた時間で完成させる必要から、分業で作業が進められ、車と背景を別のアーティストが担当する例も多かった。なかでもポンティアックが1959年から1971年の13年間にわたって展開した、AFとVKのイニシャル入りの、アーサー・フィッツパトリック(Arthur 〈Art〉 Fitzpatrick)とヴァン・カウフマン(Van Kaufman)の共同作業による作品は有名で、いまではコレクターズアイテムとなっている。
 AFが広告イラストを描き始めたのは1945年にマーキュリーと契約したのが最初で、その後リンカーン、ナッシュ、プリムス、カイザー、ビュイックの作品を手掛けている。しかし、それらの作品にはサインは入っておらず、Fitzpatrickのサインが確認できるのは1952年型ヘンリーJのカタログ(M-BASE:カタログとその時代 第5回参照)だけである。AFとVKのコラボレーションは1949年に始まり、24年間続いたという。
 1959年型~1971年型ポンティアックのために描かれたイラストは285点にも及ぶが、ここでは13年間のカタログからほんの一部を紹介する。いずれの絵も人びとの行動シーンにポンティアックをはめ込み、ポンティアックを買おう!! という気にさせられそうな魅力を秘めている。当時、わが国のモータリゼーションはようやく普及し始めた頃であり、カタログに描かれたアメリカの豊かさを驚きと羨望の眼差しで見入ったものである。ポンティアックでの一連の作業の後、1970年代はじめにオペルのカタログも手掛けているので、最後に数点を紹介する。
 1970年代に入ると、経済効率が最優先され始め、安く、しかも短時間で正確に表現できる写真が多用され始める。誇張表現されたイラストを見て、実物と違うなどと文句を言うやからが増えたことも一因であろう。AF VKによるキャンペーン展開中も、1959~1971年型ポンティアックのスポーツモデル専用カタログは、躍動感のある大胆な構図の写真を用いて制作されていたのである。

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初めて「AF VK」のサインが入った1959年型ポンティアックのカタログ。この年フルモデルチェンジして低く、広く、長くなったが、シャシーは58年型のキャリーオーバーでトレッドが狭くバランスが悪い。そこでトレッドを約5in(127mm)広げて64in(1626mm)として「ワイドトラック(Wide-Track)」と命名して売り出された。デザインの特徴は「ダブルナセル(Double-nacelle)グリル」あるいは「ツイングリル」と称される2分割されたグリル。ヴィスタ・モデルに採用された「フライングウイング(Flying-wing)ルーフ」あるいは「カンチレバー(Cantilever)ルーフ」と称される、平らで後方にオーバーハングしたルーフ。そしてリアフェンダーにはV型のツインフィンを付けていた。モータートレンド誌のカーオブザイヤーを受賞するなど好評を博し、38万台以上を売り、前年の6位からシボレー、フォード、プリムスに次いで4位に躍進している。手前のクルマはボンネビル・ヴィスタで、赤いクルマはカタリナ・コンバーティブルクーペ。

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「エアフォイル(Air Foil:翼)」ルックと言われた1960年型ポンティアック・スターチーフのセダン(手前)とスポーツセダン。2分割グリルをやめて横バーの平凡なものになり、テールフィンも消え、フロントフード、リアデッキとも真っ平らになっている。全長220.7in(5606mm)、全幅80in(2032mm)、ホイールベース124in(3150mm)の巨体に6.4ℓ V8 283psを標準装備し、オプションで同じ排気量だがエコな215psから318psエンジンが選択可能であった。40万台弱を販売したが、ランブラーに抜かれ4位であった。

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フルモデルチェンジして再び2分割グリルを採用した1961年型ポンティアック・ボンネビル・コンバーティブルクーペ。ペリメーターフレームが採用され、「New Wide-Track!」と称してサイズは若干小さくなり全長217.0in(5512mm)、全幅78.2in(1986mm)、ホイールベース123in(3124mm)、前後トレッド62.5in(1588mm)となっている。この年、コンパクトなテンペストが発売されたが、イラストを用いたカタログは発行されなかった。

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油田の開発現場とおぼしき所にマネージャーらしき人物が真新しい1961年型ポンティアック・カタリナ・コンバーティブルクーペで乗りつけ、現場監督らと談笑しながらコーヒーブレークしているシーン? カタリナはボンネビル/スターチーフより若干短く、全長210in(5334mm)、ホイールベース119in(3023mm)であった。全幅、前後トレッドは変わらない。

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1962年型ポンティアック。これは新たにラインアップに加わったスポーティタイプのグランプリ・クーペ。バケットシート、タコメーター付きのセンターコンソール、フロアシフトなどが標準装備されていた。この年ポンティアックは52万台を売り、シボレー、フォードに次いで第3位に躍進している。

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前夜降った雪の中にたたずむ1963年型ポンティアック・カタリナ・4ドアセダンと2ドアスポーツセダン。カタリナ・2ドアセダンはポンティアックの中で最も安価なモデルで2725ドルであった。6.4ℓ V8 215psエンジンが標準で、オプションでいくつかのエンジンが用意され、最もホットな6.9ℓ 370psも搭載可能であった。この年ポンティアックの販売台数は約59万台で戦後初めてシェア8%を超え、第3位の座をキープしていた。

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AF VKの絵には夜のシーンが多いが、これはパーティーがお開きになり、暗い駐車場にとめた1964年型ポンティアック・スターチーフ・4ドアセダンに二人のご婦人をエスコートして乗せ、自身はコートを脱ぎながら運転席に戻ろうとしているシーン? 運転席のドアが開いており、室内灯に照らされた車内のご婦人に視線が集中する。漆黒の中の白。レンブラントを連想させるお気に入りの1枚だ。このドアを開けたのは集中ドアロックを解除するため?

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アンティークショップに立ち寄った1964年型ポンティアック・カタリナ・サファリ。ポンティアックはステーションワゴンをサファリと名付けていた。旦那さんは旧いランプを手にして値段交渉に夢中。値切られた店のおやじは頬に手を当てて困った様子。奥さんの興味はメリーゴーラウンドから取り外したとおぼしい巨大な馬にあるようだ。

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夜の食事会が終わって、雨の降るなか旦那さんは駐車場から1965年型ポンティアック・ボンネビル・ブローアムを引き出してきたところ、傘を畳んで乗り込もうとしている奥さん?の肩にかけたコートをさりげなく取ってあげる紳士(これをごく自然にやると実にかっこいい)。この年も約80万台販売してポンティアックはシボレー、フォードに次いで第3位をキープしていた。

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リゾートホテルに乗りつけた1965年型ポンティアック・テンペスト・カスタムコンバーティブルに寄り添って語らう若いカップル。テンペストは1961年型から戦列に加わったコンパクトモデル。1963年に一回り大きくなって「シニアコンパクト」とも言われる。全長206.1in(5235mm)、全幅73.1in(1857mm)、ホイールベース115.0in(2921mm)、前後トレッド58.0in(1473mm)、標準エンジンは3.5ℓ 直列6気筒140ps。オプションで5.4ℓ V8 250psまたは285psが用意されていた。価格は2584ドルで、フルサイズコンバーティブルのボンネビル3520ドル、カタリナ3103ドルに比べ、若者には魅力的な存在であったろう。

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月明かりが反射する入り江にひっそりと浮かぶヨットやクルーザー。舟遊びから戻ったカップルたちを迎える1965年型ポンティアック・ボンネビル・カスタムサファリ。下には「我々はワゴンがどうあるべきか熟知している。我々は何年も素晴らしいワゴンを造ってきた。しかし我々はいままでの成功にあぐらをかいてはいない・・・'65年型ポンティアック・サファリはそれを証明するものです!」とある。

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モンテカルロ?に停泊する船上でのパーティーを終え、ホテルに戻るのであろうが、話しが尽きないようだ。暗闇の中に船から漏れる明かりを背面から受けてたたずむ1966年型ポンティアック・ボンネビル・ブローアムは魅力的だ。1966年型の販売台数はフォードが約221万台売り、僅差でシボレーを抜いて1位を獲得し、ポンティアックは約83万台で、もはや定位置となった3位をキープしていた。

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パーティーを抜け出して、テラスのテーブルでくつろぐ二人。そばには1967年型ポンティアック・グランプリ・コンバーティブル。1962年型で登場したグランプリはクーペのみであったが、この年初めてコンバーティブルが設定された。6.6ℓ V8 350ps+3速MTが標準で、オプションで6.6ℓ V8 265ps、7.0ℓ V8 360ps/376psエンジンと3/4速コラムシフトMT、ターボハイドラマチック3速ATが選択可能であった。価格はポンティアックのコンバーティブルでは最も高価で3813ドルであった。

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1966年型から登場(66年型カタログは写真を使用)したテンペストベースのホットモデル、1967年型ポンティアック・テンペストGTO(Grand Turismo Omologato)。スポーツクーペ、ハードトップクーペおよびコンバーティブルの3車種がラインアップされていた。6.6ℓ V8 335psが標準で、オプションで排気量は同じだが360psの高性能版およびレギュラーガソリンで使える290psのエンジンが用意されていた。

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1967年型で新登場したスポーツカー(とカタログで強調している)、1968年型ポンティアック・ファイアバード。右はベースモデルのファイアバードで2ドアハードトップクーペ(2781ドル)とコンバーティブル(2996ドル)があり、4.1ℓ 直列6気筒 175ps+3速MT(コラムシフト)を標準装備し、オプションで4速MTまたは2速ATが設定されていた。必要なら用意された6つのパッケージをベースに豊富なオプションから好みの仕様が選択可能であった。左のクルマはパッケージのひとつファイアバード350でベースモデル+106ドルで5.7ℓ V8 265psを積む。その他「Sprint」「350 H.O. 」「400」「400 H.O. 」そして「400 Ram Air」の6.6ℓ V8 335psのパッケージがカタログに載っていた。前後トレッドはテンペストと同じ60.0in(mm)だが、全長は11.1in(282mm)短い188.8in(4796mm)、全幅は1.6~2.0in(41~51mm)狭い72.8in(1849mm)、ホイールベースは3.9in(99mm)短く108.1in(2746mm)であった。

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1968年型ポンティアックのハイライトはボディーと同色のエンデュラ(Endura)バンパーグリルを採用したGTOであろう。ソフトフロントエンドのパイオニアであった。この年ポンティアックはこのGTOで4回目のモータートレンド誌のカーオブザイヤーを受賞している。

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牧場にも似合うフルサイズの1968年型ポンティアック・イグゼクティブ・2-シートサファリ。2-シートとは2列シートで6人乗りのこと。上のクルマはシニアコンパクトのテンペスト・サファリ。ウッディ調にすることでコークボトルシェイプが強調されている。イグゼクティブ・シリーズはボンネビルとカタリナの中間に位置した。

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1969年型ポンティアックGTO。より強力になり6.6ℓ V8 350psエンジンが標準設定された。運転席前方のエンジンフード上にオプションのタコメーターが付いている。この年ポンティアックの販売台数は前年より4万台ほど少ない約87万台であったが、シボレー、フォードに次いで3位を堅持していた。

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1969年型ポンティアック・テンペスト・カスタムS。この年からカスタムはカスタムSを名乗る。右側にカスタムSとテンペストのボディー・バリエーションが並ぶ。この他にテンペストにはルマンとGTOがあり、ステーションワゴンのサファリはカスタムSとルマン・シリーズに用意されていた。

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モナコ?の街角に駐車する1970年型ポンティアック・グランプリ。サングラスをかけた男がドライビンググラブを右手にはめてクルマをジッと見つめ、離れたところで女が背を向け、顔をこちらに向けて微妙な笑みを浮かべている。女は誘って欲しいのだが、グランプリにぞっこん惚れ込んだ男は気づいてくれない? シチュエーションが理解しにくい絵だ。ひょっとして自動車泥棒かも! これはグランプリ専用カタログの絵だが、総合カタログには黒のグランプリの脇で左手にグラブをはめている同じ男が立ち、背景も女も異なる絵が使用されており、ますます好奇心をかき立てられる。グランプリは69年型でこの顔になり、中央のグリルのバーが横から縦に変更された。

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雨の中、フラワーショップに立ち寄る女性を描いた1枚。クルマは1970年型ポンティアック・テンペスト・クーペ。エンジンフードの上をころがり落ちる水滴が美しい。この年ポンティアックの販売台数は前年よりおよそ18万台落ち込んで約69万台と激減し、8年間維持してきた3位の座をプリムスに譲り4位となってしまった。同じGMのシボレーも約145万台で、約210万台のフォードに1位の座を明け渡している。

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AF VKのイラストによるポンティアックの宣伝キャンペーン最後の年である、1971年型ポンティアック・カタリナ・コンバーティブル。この年もポンティアックの生産台数は59万台に届かず、フォード(約205万台)、シボレー(183万台)、プリムス(70万台)に次ぐ第4位であった。

 ポンティアックのプロジェクトが終了後、1973年ごろまでGM系のオペルのカタログをAF VKのコンビで制作しているので以下に数点添付するので鑑賞していただきたい。

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1972年9月に発行されたオペル・レコードⅡのカタログの表紙。

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1972年10月に発行されたオペル・コモドール GS/Eのカタログ。

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1973年に発行されたオペル・コモドール GSのカタログ。

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1973年1月に発行されたオペル・ディプロマットのカタログ。白壁にあたる強烈な日差しと、木陰に駐車したクルマにあたるやわらかい木漏れ日がリアルで空気の匂いまで感じさせる絵だ。フィッツパトリックとカウフマンの名コンビ最終期の作品。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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