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第8回 よみがえった『力道山のロールスロイス』
2012.6.27

 グランプリ出版から『力道山のロールスロイス』が復刊された。初版は1982年に発行されたから30年ぶりになる。著者の中沖満さんは小さいころから乗り物、特にクルマが大好きで、しかも生まれが東京・麹町。当時はまだ少なかったクルマが多く生息するエリアであった。やがて、知る人ぞ知る「わたびき」に入社し、塗装職人として腕を磨いてゆく。
 この本では、著者とクルマたち、そのクルマたちに関わる人々との出会いを通して、戦中戦後の東京の街が活写されている。クルマを軸に描いた戦後史として、クルマに興味のないひとでも十分に楽しめる1冊として薦めたい。
 私も乗り物大好き少年であった。ただ、クルマに宗旨替えしたのは高校生になってからで、中学校卒業までは鉄道、特に鉄道模型に熱中しており、週末は現物観察のため東京駅、上野駅などで過ごした。機関士にいろいろ教えていただいたし、お目当ての機関車がどこにいて、何時ごろ到着するかなどを知る情報源であった。まだ鉄ちゃんなど出現する前のはなしである。
 こどもの頃、どきどき、わくわくする場所が二つあった。永代橋を渡って深川の八幡様へお参りに行く途中、右側にあった消防署の赤い車体が見えた瞬間。もう一つは本屋さん。新しい乗り物の絵本が出ていないか、期待に胸を膨らませた記憶はいまだに消えていない。
 今回は「力道山のロールスロイス」に登場するクルマのカタログを紹介するが、その数があまりにも多いので、そのほんの一部、それも外観にとどまることをご容赦いただきたい。多少なりとも本を読まれる方の参考になれば幸いである。

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「力道山のロールスロイス」2代。左は1982年の初版本、右は今回復刊されたもの。

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中沖少年に「グリルはまるで飛行帽をかむった飛行士のよう」と評された、1937年型クライスラー。ロイヤルはクライスラーの量販モデルで、さらにグレードの高いインペリアル、エアフロー、カスタム・インペリアルがあった。

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中沖少年のお気に入りだった1938年型ビュイック。ホイールベース133in(3378mm)の車体に5.3ℓ、直列8気筒OHV、141馬力エンジンを積む。ビュイックのグレードは下から、スペシャル、センチュリー、ロードマスター、リミテッドがあった。このカタログは珍しい日本GM発行の日本語版である。

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ある日、海軍将校の休息所に現れた、ドイツから来たばかりの中型車オペル・カピテーン。これは1939年モデルで2.5ℓ、直列6気筒、55馬力エンジンを積み、全長4620mm、全幅1660mmであった。

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占領下の日本で、連合国最高総司令官マッカーサー元帥が公用車として使った1942年型キャデラック・フリ-トウッド・シリーズ75。5.7ℓ、V型8気筒、150馬力エンジンを積み、ホイールベース3.5m、全長は6mを超える堂々たるクルマであった。

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戦災で焼けたクルマを苦労して修復したという1940年型リンカーン・ゼファー・コンチネンタル・カブリオレ。生産台数わずか54台という希少車。モーターボートが白波をかきわけて進むさまをイメージとして作られたという左右2分割の、まことに微妙なRを持つグリルを作るのに苦労したという。そんな苦労のかいもなく、当時オープン2ドアの買い手はみつからず、4ドアセダンに改造されてしまった。

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登録ナンバーも4万台であり、これが改造されたコンチネンタル4ドアではないかと推察する。この写真は内山吉春/勇ご兄弟から頂戴した写真に含まれていたもので、短命であった個体をしっかり捕捉していたとは驚きである。官庁の所有車にもかかわらず背負ったコンチネンタル・タイヤは丸坊主であり、いかに物が欠乏していたかを物語っている。この写真を見るたびに、1971年にキューバ・ハバナの街角で出会った、酷使されてよれよれになった1948年型コンチネンタル・クーペを思い出す。

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上の2枚が当時の4大タクシー会社「大日本帝国(大和、日本交通、帝都、国際)」攻略に成功し、外国にまで「カミカゼ」の名を轟かせながら、中沖さんから欧州車タクシー乗り歩きの楽しみを奪ったトヨペット・スーパー。日本の自動車産業の遅れを一気に挽回すべく、外国メーカーと技術提携するメーカーが続出するなか、トヨタが独力で開発し、1953年9月に発売された。エンジンはやがてクラウンにも搭載された新設計のR型1.5ℓ、OHV、48馬力だった。上のクルマがRHKでボディー架装を関東自動車工業が担当、下の赤い欧州調のクルマがRHNで中日本重工業(現・三菱自動車工業)がボディー架装を行なった。

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1953年に発売されたDKW F-91ゾンデルクラッセ(Sonderklasse)。2サイクル、3気筒エンジンを縦置きにした前輪駆動車(FF)。

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1950年に発売されたDKW F-89 ニュー・マイステルクラッセ(New Meisterklasse)。これは1954年に当時東日本代理店であった東急自動車株式会社と西日本代理店であったトーキューウエスターンモータース株式会社が発行した日本語版カタログ。2サイクル684cc、2気筒、23馬力エンジンを横置きFFに積む。DKWの横置きFF方式の歴史は古く、1931年のFA(のちにF-1)で既に採用していた。BMCミニより28年も早い。

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中沖さんに「いかにもフランス車といった感じのシートに深々と腰をおろしてしまうと、長いホイールベースとトーションサスによる絶妙な乗り心地に感心してなかなか降りる気にならない」と言わせたトラクシオン・アヴァン(前輪駆動)、シトロエン11CV。1934年に発売された、当時としては画期的なクルマであった。1.9ℓ、直列4気筒、46馬力エンジンを縦置きFFに積む。このカタログには1936年に追加設定された7~8人乗りのファミリアールが載っている。

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力道山がアイボリー・ホワイトに塗り替え、ドアとトランクリッドに「ドクロ」のマークを入れてほしいと「わたびき」に持ち込んだジャガーXK120。「わたびき」の説得でキャデラックの王冠をアレンジしたマークに変えたという。3.5ℓ、直列6気筒DOHC、160馬力エンジンを積み、最高速度210km/h以上の俊足を誇った。

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XK120を引き取りにきた時の足グルマであった1955年型シボレー・ノマド。淡いグリーンとクリームとあるから、この絵と同じ色だったと思われる。Bピラーから後ろに太い柱がまったくない、新しいワゴンの提案であった。3.9ℓ、直列6気筒、123/136馬力エンジンが標準で、4.4ℓ、V8、162/170/180馬力もオプションで選択可能であった。

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1955年のGMモトラマで発表されたワンオフのショーカー、キャデラック・エルドラド・ブローアム(Cadillac Eldorado Brougham)。4ドア・ハードトップのドアは観音開きで、ルーフは塗装なしのステンレスであった。全長5.3m、車高はわずか1.37mであった。

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力道山が所有していた、1957年型キャデラック・エルドラド・ブローアム。1955年のモトラマで発表したショーモデルを量産用に手を加えて限定販売したもので、ショーモデルとは細部が異なる。1957年型400台、1958年型304台の合計704台生産された。価格も1万3074ドルで、最も安価なキャデラック4620ドルの2.8倍以上であった。このカタログは横浜のアメリカ文化センターで入手したもの。

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本のタイトルになったロールスロイス・シルバークラウド。6.2ℓ、V8(馬力は秘密)エンジンを積み、全長5378mm、全幅1899mm、全高1626mm。黒に見えるような濃紺に仕上げるべく作業を進めたが、完成前に力道山は帰らぬ人となってしまう。赤坂のホテル・ニュージャパンの地下にあったナイトクラブ、ニュー・ラテンクォーターで刺されたのが原因であった。
 余談だが、ホテル・ニュージャパンの隣のビルの地下に赤坂ホールという雰囲気の良いダンスホールがあり、よく通った。昭和30年代の10年間、社交ダンスにほれ込んでいた時期があり、最初の5年間はほとんど毎日、残業でどんなに遅くなってもダンススタジオだけには顔を出すようにしていた。あるとき赤坂ホールへ行くと、ダンサーがほとんどいない。聞くと造反して新橋のダンスホール「フロリダ」へ揃って移動したという。私のダンス拠点もフロリダとなり、やがて赤坂ホールは消滅してしまった。女性パワーの威力を見せつけられた出来事であった。

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中沖さんにとって忘れることの出来ない1台であったロータス・エリート。コヴェントリー・クライマックス1.2ℓ、直列4気筒SOHC、75馬力エンジンを積み、全長3810mm、全幅1473mm、全高1168mm、車両重量584kgの軽量コンパクトなポリエステル・レジン製ボディーのクルマであった。

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上の2枚は中沖さん憧れのアバルト・クーペ・スコルピオーネ。スペックは本に詳しく書かれているので省略する。絵にあるコックピットはオープン版のスパイダー・リヴィエラのものだが、クーペ・スコルピオーネもほぼ同じ。

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上の2枚は、中沖さんにプアマンズ・フェラーリを狙っていると指摘されたアバルト1600。上がクーペ、下はカブリオレ。

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ひと吹かししてシフトダウンした瞬間、脇を走っていた自転車がびっくりして田んぼに転落したという、フィアット・アバルト1000ビアルベーロ。982cc、直列4気筒、ツイン・ウエバー104馬力エンジンは、全長3480mm、全幅1410mm、全高1165mm、車両重量570kgの軽量で小さなボディを218km/hまで引っ張る。

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中沖さんが、ご自分の性分にあっているというアメリカンV8を積んだACコブラ。これはACコブラ最初のカタログで、キャロル・シェルビーが1962年型フォード・フェアレーン用260ci(4264cc)V8 210馬力を積んだACコブラ260のもの。2本の太い鋼管を用いた特徴のあるシャシー構造が分かる。最高速度は240km/hを超えた。ここに写っている個体は最初のプロトタイプ(シャシー番号CSX2000)でエンジンは221ci(3624cc)が積まれていた。右下の写真は1962年1月に英国のACカーズ社で組み立て中のCSX2000。価格は5995ドルであった。

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ACコブラ427。ACコブラ289のカタログはいくつか発行されているが、427のカタログは手元にない。これは1枚のカラーシートである。427ci(6998cc)V8、485馬力、66.4kg-mエンジンを積み、0-400mを12秒ちょっとで駆け抜けるモンスターで、価格は約7000ドルであった。ACコブラの生産台数は1962年2月~1967年3月の約5年間に260モデル75台、289モデル579台、427/428モデル348台の合計1002台であった。合計1011台という史料もある。

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本に登場するハーラーズ・コレクション、シュルンプ・コレクションなど載せたい絵は山ほどあるのだが、最後に中沖さんの忘れ得ぬフェラーリ330GTを紹介して終わりとしたい。1964年のブリュッセル・ショーで発表され、4ℓ、V12、300馬力エンジンに4速+ODトランスミッションを積み、最高速度245km/h。全長は4811mmであった。1年後には2灯式ヘッドランプに改められ、美しいボラーニのワイヤーホイールも軽合金鋳物に変えられてしまった。1967年までに1000台生産された。


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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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