三樹書房
トップページヘ
catalog
第7回 メルセデス・ベンツ300SL - SLクラスの60周年を祝して
2012.5.28

 今年3月、6代目メルセデス・ベンツSLクラスが発表された。1952年に300SLレーシング・スポーツカーが登場してから、今年はちょうど60年目にあたる。そこで、今回は1952年の300SLと1954年に登場した初代300SLの資料を書庫から引き出してみた。
 ドイツは第2次世界大戦に負けて米・英・仏・露に分割占領されていたが、日本より3年早い1949年5月にドイツ連邦共和国(旧西独)およびドイツ民主共和国(旧東独)に二分されたが独立を果たした。ダイムラー・ベンツ社は敗戦の翌年、1946年から生産を開始していたが、戦後の復興と、戦前の栄光を取り戻すための起爆剤として、戦前の「タイプ770 グロッサー・メルセデス」のような超高級車を造るか、レース活動への復帰かを検討した結果、後者を選び300SLが登場したのである。

◆ 1952年300SLレーシング・スポーツカー(W194シリーズ)
 レース活動への復帰は決定したが、当時のダイムラー・ベンツ社の財布は軽く、量産車の部品を活用しての開発が義務付けられた。そこで目を付けられたのが1951年に発売された「タイプ300」で、中でもショートホイールベースのスポーティー版である「タイプ300S」であった。このモデル自体がメルセデスの豊富なレース活動をとおして蓄積されたノウハウがフィードバックされており、スポーツカーに流用可能であった。「タイプ300」の115ps、2996cc直列6気筒SOHCエンジンはチューニングして171ps/5200rpm、26.0kg-m/4200rpmに強化し、高さを抑えるため左に50度傾けて積み、4速マニュアル・トランスミッション、前後のサスペンションも若干のチューニングを施して流用している。ただし、シャシーは鋼管スペースフレーム、ボディーはアルミで新設計された。
 300SLの300はエンジン排気量、SLは独語のSuper Leicht、英語でSuper Light、すなわち超軽量を意味する。車両重量は868kgで最高速度は258km/hであった。
 生産台数は11台で、うち1台はホイールベースを2400mmから2202mmにつめ、230psのスーパーチャージド・エンジンを積み、最後の11号車は1953年シーズンのために214psの直接燃料噴射エンジンを積み、トランスミッションを後部に積むトランスアクスル方式が採用されていた。ホイールベースは2301mmでフロント部分のデザインは市販型の300SLに近いものに改められていた。しかし、300SLの市販化が決定され、そちらに開発資源を集中するために1953年シーズンのレース活動は中止されてしまった。
 1989年にダイムラー・ベンツ社が発行した資料によると、その時点で1号車と10号車はスクラップされ、3、4および9号車は所在不明、6および7号車は米国にあり、2、5、8および11号車がダイムラー・ベンツ・ミュージアム(現・メルセデス・ベンツ・ミュージアム)に所蔵されていると記されている。

05-01 300SL 1st y 5th.jpg

左は6代目にあたる最新型2012年メルセデス・ベンツSLクラス(R231シリーズ)で、右は60年先輩の1952年300SL(W194シリーズ)。年を感じさせない魅力がある。

05-02 2012 SL 01.jpg

6代目SLクラスのポートフォリオ1枚目に差し挟まれていた1952年300SL。初期のモデルはこの写真のように「ガルウイング(Gullwing:カモメの翼)・ドア」は腰から上の部分しか開かなかった。乗り降りが難しいため、ボディサイドまで開くように変更され、やがて、ドライバーの要望を採り入れて一部はオープンボディーに改造されていった。

05-03 1954 300SL 1-02.jpg

1954年に発売されたメルセデス・ベンツ300SL(W198Ⅰシリーズ)最初のカタログの1頁に登場した300SLレーシング・スポーツカー(W194)。1952年にメキシコで開催された、第3回「カレラ・パナメリカーナ・メヒコ(Carrera Panamericana "Mexico")」ロードレースで優勝したカール・クリング(Karl Kling)/ハンス・クレンク(Hans Klenk)のくるま。2位にはヘルマン・ラング(Hermann Lang)/エルヴィン・グルップ(Erwin Grupp)の300SLクーペがはいった。もう1台ジョン・フィッチ(John Fitch)/ユージン・ガイガー(Eugene Geiger)のオープンボディー300SLは最終ステージで平均214km/hという驚異的な速さでゴールしたが、所定外の場所でのホイールアライメント調整がルール違反とされ失格となってしまい、1-2-3フィニッシュは果たせなかった。

05-04 1952 300SL Carrera Panamericana.jpg

これはダイムラー・ベンツ社が発行した絵葉書で、1952年の「カレラ・パナメリカーナ・メヒコ」で優勝したクリングのクルマが第1ステージでノスリ(タカ科の鳥:Buzzard)をヒットした瞬間。道路で遊んでいたか、クルマにはねられた獲物をついばんでいた鳥が200km/h以上のスピードで近づくクルマから逃げる判断を誤り、このような事故が頻発したという。このときコ・ドライバーのクレンクは額を切り、一瞬気を失っている。
 このレースはパン・アメリカン・ハイウエイの開通を記念して、1950年にはじまった。米国国境のエルパソ近くから南下して、グァテマラ国境までの約3400kmを5日間、8ステージを走破する過酷なもので、事故が多発したため1954年の第5回を最後に中止された。ストック・クラスには多くのアメ車が参加したので、私を含めアメ車ファンにはたまらない存在だったのだが。

05-05 1952 300SLs.jpg

300SL(W194シリーズ)ボディー・バリエーションの一部。メルセデス・ベンツ・オールドタイマー・センターを訪ねたとき入手したモデルで、左の21番クーペは1952年ル・マン24時間レースで優勝したヘルマン・ラング/フリッツ・リース(Fritz Riess)のクルマ。オープンボディーの21番は1952年のニュルブルクリンク・グランド・ジュビリー・レースで優勝したヘルマン・ラングのクルマ。6番はカレラ・パナメリカーナで惜しくも失格してしまったジョン・フィッチ/ユージン・ガイガーのクルマ。

05-06 1952 Grand Jubilee Price of Nurbrugring.jpg

1952年のニュルブルクリンク・グランド・ジュビリー・レースには4台のオープンボディー300SLが出場している。先頭の24番はカール・クリングのスーパーチャージド・エンジンを積むショートホイールベース・モデルだが、このあと21番のヘルマン・ラングに抜かれ2位で終わっている。

05-07 1955 300SLRs.jpg

これもオールドタイマー・センターで手に入れた300SLRのモデル。300SLR(Rは独語Renn:レースを意味する)は300SLとは別物で、単座のグランプリカーW196の2シーター・レーシング・スポーツカー版と言える。ただし、エンジンはW196の2496ccに対し、300SLRは2982cc直列8気筒DOHC直接燃料噴射エンジンを積んでいた。19番は1955年ル・マンで大惨事のため中断するまでトップを走っていたファン・マニュエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio)/スターリング・モス(Stirling Moss)のクルマ。最高速度は288km/hに達した。後部のエアブレーキに注目。右は9台造られた300SLRの内、シャシーナンバー7と8に架装されたクーペ・バージョンで、1台は開発責任者であったルドルフ・ウーレンハウト(Rudolf Uhlenhaut)のパーソナルカーとして使用された。シャシーナンバー9は欠番で、ナンバー10には可変長インレットマニフォールド装着エンジン、フロントブレーキをインボードからアウトボードにするなどの変更が加えられていた。

◆ 1954~1957年300SL(ガルウイング・クーペ)(W198Ⅰシリーズ)
 量産型メルセデス・ベンツ300SL(W198Ⅰ)は1954年2月6日、ニューヨークで開催されたインターナショナル・モーター・スポーツ・ショーで発表された。生産のスタートは同年夏からであった。価格は2万9000マルクで、同時に発表された190SL(W121シリーズ)は1万6500マルクであった。ちなみにメルセデス200(W180)6気筒セダンは1万2500マルクほどであった。米国では最初6820ドルであったが、最終的には8902ドルまで上昇している。
 300SLの市販化には1952年1月から米国市場におけるメルセデス・ベンツのインポーターとなったマキシミリアン E. ホフマン(Maximilian E. Hoffman)のマーケティングに基づくダイムラー・ベンツ社への働きかけが大きく影響を与えたと言われる。
 スペックはM198型2996cc直列6気筒SOHC直接燃料噴射215ps/5800rpmエンジン+4速MTを積み、サイズはホイールベース2400mm、全長4520mm、全幅1790mm、全高1300mm、トレッドは前1385mm、後1435mm、車両重量925kg、最高速度は260km/hであった。
 300SLガルウイング・クーペの生産台数は1400台で、内29台(1955年に26台、1956年に3台)はアルミボディーを、1台はグラスファイバーボディーが架装された。標準ボディーはスチール製で、エンジンフード、トランクリッドおよびドアのみアルミが使われていた。

05-08 1954 300SL 1-01.jpg

05-09 1954 300SL 1-03.jpg

05-10 1954 300SL 1-04.jpg

05-11 1954 300SL 1-05.jpg

上の4枚は初期に発行された300SLのカタログ。ギアシフトレバーはすでにリモートリンケージで直立したものとなっているが、最初の50台はダイレクトシフトのため長いクランクしたレバーが装着されていた。後部に130ℓという巨大な燃料タンクを積み、その上に6.50-15のスペアタイヤを載せているので、トランクスペースは無く、シート後部のスペースにぴったり収まるトランクがオプション設定されていた。当時ディスクブレーキは普及しておらず、アルミの冷却フィン付きでライニング幅90mmという巨大なドラムブレーキが採用されている。

05-12 1956 300SL 2-00.jpg

05-13 1956 300SL 2-01.jpg

05-14 1956 300SL 2-04.jpg

上の3枚は1955年に発行された300SLガルウイング・クーペのカタログで、5月に開催されたミッレ・ミリアでGTクラス優勝した300SLがイラストで紹介されている。ほかにも多くのレースで戦績を残している。レイアウト図では鋼管スペースフレームと機能部品の配置が理解できよう。

05-15 1963 裕次郎300SL - 平凡付録.jpg

これは雑誌「平凡」の1963年3月号の第1付録「'63 ぼくとわたしのニュー・カー」に載った、石原裕次郎の300SLガルウイング・クーペ。オプションのセンターロックホイールを付け、ヘッドランプは1957年に登場した300SLロードスターのものに付け替えられている。当時もう1台力道山が所有する300SLロードスターが存在した。

◆ 1957~1963年300SL(ロードスター/クーペ)(W198Ⅱシリーズ)
 1957年3月のジュネーブ・モーターショーで300SLガルウイング・クーペの後継として、300SLロードスター(W198Ⅱシリーズ)が発表された。ロードスターへの変更も、米国のホフマンのアドバイスによって実施されたと言われる。
スペックはM198型2996cc直列6気筒SOHC直接燃料噴射、圧縮比8.55:1で215ps/5800rpm(1958年3月発行の独語版カタログには圧縮比9.5:1で225ps/5900rpmが存在する)エンジン+4速MTを積み、サイズはホイールベース2400mm、全長4570mm、全幅1790mm、全高1300mm(幌を上げた状態)、トレッドは前1398mm、後1448mm、車両重量970kg、最高速度は250km/hであった。
 大きな変更は鋼管スペースフレームのサイド部分の高さを低くして乗降性を改善し、後輪にシングルジョイント・ローピボット・スイングアクスルと、急激なキャンバー変化を防ぐため、はじめてコンペンセイティング・スプリングを採用した。これによりハンドリング性能が大幅に改善されたという。
 価格は3万2500マルクで、米国では1万970ドルであったが、最終的には1万1573ドルに達した。
 
 じつは300SLロードスターが発売されて間もなく、通産省性能試験車として日本に1台輸入され、国産車メーカーに順番に貸し出されたので、私も乗る機会を得た。いちばん印象に残っているのは、発進加速したとき生まれて初めて加速度Gを実感できたことだろうか。当時の国産車ではアクセルを思いっきり踏み込んでも、頭が後ろに引かれることは無かった。確かこのクルマは自動車技術会が中心となって手配・調整を行なったと記憶する。

05-16 1957 300SL Roadster 01.jpg

05-17 1957 300SL Roadster 03.jpg

05-18 1957 300SL Roadster 04.jpg

05-19 1957 300SL Roadster 05.jpg

05-20 1957 300SL Roadster 06.jpg

05-21 1957 300SL Roadster 07.jpg

上の6枚は1958年3月に発行された300SLロードスターのカタログ。2枚目の黄色のクルマのようにバンパー無しでも販売された。スペースフレームのサイド部分を改良したとは言っても、相変わらずサイドシルは幅広で高く、乗り降りは簡単ではない。燃料タンクは100ℓに減量されて薄くなり、スペアタイヤを抱え込むような形に変更されたので、トランクルームがわずかだが確保された。インストゥルメントパネルは大幅に変更されている。このカタログのエンジン出力は225psと記載されている。

05-22 1959 300SL 00.jpg

05-23 1959 300SL 04.jpg

05-24 1959 300SL 05.jpg

上の3枚は1958年に追加設定された脱着可能なクーペ・ルーフを付けたモデル。この絵のクーペではソフトトップは付いていない。ルーフの価格は1500マルクで、ロードスター所有者が追加購入できるようレトロフィットの設定もされていた。

05-25 1959-03 300SL US - 02.jpg

このカタログは海外、特にドイツ駐留の米軍兵士を対象としたカタログで、特別のディスカウント・プライスと支払い条件も相談に応じるとしている。ドイツで購入して米国へ帰国時に持ち帰るとお得ですよ。ということ。価格はロードスター7405ドル、クーペ7575ドル、クーペ+コンバーティブル・トップ7746ドル。米国では1万ドルを超えていたから、確かに安い。これは1959年3月に発行されたカタログだが、同年11月に発行されたカタログでは400ドル前後値上がりしている。敗戦から14年、独立から10年後のドイツの状況がしのばれる興味深い史料だ。後方のジェット戦闘機はノースアメリカンF-86Dセイバー(セイバードッグ)。

05-26 1961 300SL 00.jpg

05-27 1961 300SL 01.jpg

上の2枚は1961年3月、ドラムブレーキが4輪ともダンロップのディスクブレーキに換装されたときのカタログ。さらに1962年3月にはアルミブロックのエンジンに換装されている。しかし、1963年2月8日、1858台目の300SLロードスターがジンデルフィンゲン工場をラインオフして生産を終了した。ロードスターの70%は米国に輸出され、ガルウイング・クーペは実に80%が米国に渡っている。

05-28 1957 300SLS - W198.jpg

1957年3月から4月にかけて2台だけ生産された300SLS。300SLロードスターの販売促進活動の一環としてSCCA(Sports Car Club of America)チャンピオンシップに挑戦を試みたが、量産車として認められず、クラスDのスポーツ・レーシングカーとして参戦するために急きょ改造されたモデル。エンジンはアルミブロックの235psを積み、前輪にはディスクブレーキを装着し、そのほか多くの性能の強化と軽量化が施されている。ホイールが標準のボルト・オン式なのは、SCCAのレースでは途中のタイヤ交換が不要のためであった。マセラッティ300S、フェラーリ・モンツァ、アストン・マーティンDB3Sなどの強豪を相手に、ポール・オシア(Paul O'Shea)のドライブで1957年のノース・アメリカン・スポーツカー・チャンピオンシップ(カテゴリーD)を獲得した。

このページのトップヘ
BACK NUMBER

第96回 スズキジムニー誕生50周年(第3世代)

第95回 スズキジムニー誕生50周年(第2世代)

第94回 スズキジムニー誕生50周年(第1世代)

第93回 アメリカでコレクターズアイテムとなるR32 GT-R?

第92回 戦後のアメリカンコンパクトカー(3)

第91回 戦後のアメリカンコンパクトカー(2)

第90回 東京オートサロン 2020

第89回 戦後のアメリカンコンパクトカー(1)

第88回 シトロエンのロータリーエンジン車

第87回 シトロエン トラクシオンアヴァン

第86回 シトロエン創立100周年記念イベント

第85回 「モーターファン」誌1952年1月号に載った広告

第84回 英国人のハートをつかんだフィガロ

第83回 サクラ・オートヒストリーフォーラム2019

第82回 ジャパン・クラシック・オートモービル 2019

第81回 Automobile Council 2019

第80回 MINIの60周年記念

第79回 日産自動車初の大型トラック&バス(80型/90型)

第78回 東京オートサロン 2019

第77回 新町暮らシックCarまちなか博物館

第76回 2018トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

第75回 三菱500

第74回 空飛ぶクルマ

第73回 Automobile Council 2018

第72回 戦後から1950年代初頭のジャガー

第71回 フォルクスワーゲンのアメリカ進出

第70回 ACC・JAPANの東京交歓会

第69回 1949年型アメリカ車 – フォード編

第68回 1949年型アメリカ車 –クライスラー編

第67回 サーブ 92

第66回 東京オートサロン2018

第65回 ボルボ・カー・ジャパン、1959年式PV544をトヨタ博物館へ寄贈

第64回 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

番外編 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

第63回 1948年型アメリカ車 – インデペンデント編

第62回 1948年型アメリカ車 – ビッグ3編

第61回 Automobile Council 2017

第60回 1947年型アメリカ車 – インデペンデント編

第59回 1947年型アメリカ車 - ビッグ3編

第58回 戦時下に発行されたアメリカ車メーカーのポスター

第57回 AC & Shelby AC Cobra - 2

第56回 AC & Shelby AC Cobra - 1

第55回 ナッシュヒーレー&ハドソンイタリア

第54回 東京オートサロン2017

第53回 リンカーン コンチネンタル

第52回 2016トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑

第51回 クライスラー300 レターシリーズ – その2

第50回 Automobile Council 2016 – そのⅡ

第49回 Automobile Council 2016

第48回 クライスラー300 レターシリーズ – Ⅰ

第47回 フォードランチェロ

第46回 1954年カイザー・ダーリン161

第45回 1950年代ポンティアックのドリームカー

第44回 1950年代オールズモビルのドリームカー

第43回 1950年代ビュイックのドリームカー

第42回 1950年代キャディラックのドリームカー

第41回 クラシックカー・フェスティバル

第40回 アメリカの初期SUV/MPV

第39回 メトロポリタン

第38回 フォード サンダーバード

第37回 シボレーコルベット(第1世代 – 2/2)

第36回 シボレーコルベット(第1世代 – 1/2)

第35回 1950年代のアメリカンドリームカー(4)

第34回 1950年代のアメリカンドリームカー(3)

第33回 1950年代のアメリカンドリームカー(2)

第32回 1950年代のアメリカンドリームカー(1)

第31回 1940年代のアメリカンドリームカー

第30回 戦後のアメリカ車 - 11 :1940年代の新型車(フォード)

第29回 戦後のアメリカ車 - 10 :1940年代の新型車(GM)

第28回 戦後のアメリカ車 - 9 :1940年代の新型車(パッカード)

第27回 戦後のアメリカ車 - 8 :1940年代の新型車(タッカー)

第26回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ナッシュ)

第25回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ハドソン)

第24回 戦後のアメリカ車 - 6 :1940年代の新型車(クライスラー・タウン&カントリー)

第23回 戦後のアメリカ車 - 5 :1940年代の新型車(クロスレイ)

第22回 戦後のアメリカ車 - 4 :1940年代の新型車(カイザー/フレーザー)

第21回 戦後のアメリカ車 - 3 :1940年代の新型車(スチュードベーカー)

第20回 戦後のアメリカ車 - 2 :1940年代の新型車(ウイリス/ジープ)

第19回 戦後のアメリカ車 - 1 :1946年型の登場(乗用車の生産再開)

第18回 アメリカ車 :序章(6)1929~1937年コード・フロントドライブ

第17回 アメリカ車 :序章(5)1934~37年クライスラー・エアフロー

第16回 アメリカ車:序章(4)1924~1929年

第15回 アメリカ車 :序章(3)1917~1923年

第14回 アメリカ車 :序章(2)フォード モデルT(1908年~1927年)

第13回 アメリカ車 :序章(1) 登場~1919年

第12回 AF+VKの世界:1959~1971年型ポンティアックのカタログ

第11回 コペンの屋根:リトラクタブルハードトップ

第10回 スクリーンで演技するクルマたち

第9回 シトロエンDSのこと

第8回 よみがえった『力道山のロールスロイス』

第7回 メルセデス・ベンツ300SL - SLクラスの60周年を祝して

第6回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その2)

第5回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その1)

第4回 短命だった1942年型アメリカ車のカタログ

第3回 「ラビット」から「スバル」へ - スバル最初の軽乗用車と小型乗用車

第2回 「キ77」と電気自動車「たま」。そして「日産リーフ」

第1回 自動車カタログ収集ことはじめ

執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

関連書籍
ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
トップページヘ