江戸女子力


 江戸時代は、お医者さんが往診し、家族に囲まれて家で最期を迎える、というパターンが多かったようです。病院の延命治療もなく、短く太く生きたのではないでしょうか。
「医者衆は辞世をほめて立たれたり」
と、辞世の句を遺して大往生する人もいたようです。かっこいい死に方で、戦国武将ではたまに聞きますが、病死で辞世の句、とはなかなかできない芸当です。
「代脈がちと見直した晩に死に」
一瞬回復したようになってから亡くなる、というのは江戸時代にもあった現象なのでしょうか。
「死金」という単語は、今では、使わないままの預金を指したりしますが、当時は、死のために備える支度金のことを「死金」と言いました。
「死金をおっかなそうに分けて取り」
「死金がたまり過たで死かねる」
死金が惜しくなって死ねなくなった、そんな延命効果も......。
 死んでも死にきれないのは、人間関係の確執がある場合。嫁が姑の死を看取るシーンはちょっと怖いです。
「看病をひとりねめねめ往生し」
お嫁さんをにらみながら死んでゆく姑さん。にらむくらい気力があるならまだ長生きしそうですが......。
「しうとばば白くにらむがいとま乞」
「目が黒いうち」は生き生きしている表情を示しますが、反対に白くなっていくのは死を表します。こちらもにらみながら死んでいく姿です。成仏させるのにも苦労しそうです。
「嫁が出す水はりのけて目をふさぎ」
嫁の世話を断固として拒絶する姑。病院だったら他の人に任せられますが、家庭内往生では不本意ながら嫁の手を借りないわけにはいきません。
「死水を嫁にとられる残念さ」
結局、死んだら拒否することもできず、嫁に末期の水を口に入れられることに......。
「仕合わせな嫁梅干しを桶につめ」
梅干しは老婆の比喩で、桶は当時のお棺という、これもまたゾクゾクする川柳です。もっと川柳とは笑えるものだと思っていましたが、死という話題になるとホラー味も帯びてきます。
「段々にお鉢のはまる枕飯」
お椀にご飯を盛った「枕飯」にお箸を立てたものを死者にお供えする風習もありました。
「枕飯からもふこわく嫁は炊き」
生きている時は姑のご飯は柔らかく炊いていたのを、亡くなったとたん固めに焚く嫁。四十九日くらいまでは霊の好みに合わせた方が良さそうですが......。
「ぬけがらの魔よけの魂のせておき」
武士の魂=刀で、刀をちょっと鞘から抜いて遺体の上に置くという魔よけの風習がありました。現代には失われてしまった風習で、魔よけがない丸腰状態で大丈夫か不安になります。
「さかさまに親が屏風を立るなり」
逆さにした屏風で囲うという習わしもありました。この川柳は、お子さんが先に亡くなった逆縁の「さかさ」という意味ともかけている切ない句です。和服の合わせが逆さまだったり死者にまつわることは「さかさごと」と言われます。現代だと、亡くなったはずの人が服を裏表に着ていた、という怪談も聞いたことがありました。あまり風流じゃないですが......。
「極楽のひゃうとく和尚付けてくれ」
「表徳」はペンネームの意味。極楽でも通じるかっこいい戒名を付けてほしい、とリクエストしています。
 お葬式の時は、家の戸口に青い鬼簾(細い竹で編んだ忌中用のすだれ)に、忌中札を付けました。
「鬼簾涙のかかる忌中札」
「鬼の目に泪と見へる忌中札」
「二字書た札は寂しいかけすだれ」
鬼すだれについて検索したら、飲食店用の通販サイトがヒット。現代では伊達巻きを作る時に使われているようです。
「すまぬ事母の湯灌は寺でする」
納棺前に死者を清める「湯灌」。裕福な持ち家のある家庭でないと家では湯灌ではない制度があり、一般人はお寺の湯灌場を使っていました。助け合いの精神は死に装束にも。経帷子は何人もの人が分担して縫い上げていたそうです。
「片袖を足す振り袖は人のもの」
皆がひと針ひと針塗ってくれている......この人情味だけで成仏できます。
「神棚に目張外へは札を張り」
死者が出た家では神棚に紙を張る風習も。細かいところにまで気をつかっています。
 死者には三途の川の渡し賃の六道銭を入れた袋を持たせ、お棺に入れてお寺に運び、お坊さんの読経ののち、土葬もしくは火葬にします。死出の旅は孤独です。
「西国は連立て行く旅でなし」
江戸時代のお葬式は、焼き場まで葬列を組んで歩く大がかりなものでした。提灯、香呂、紙垂、幡、天蓋、位牌、棺、などを持った人々に続いて、施主や会葬者がついて歩きます。
「御簾をかかげると先ず出る香呂持」
「脇差のない裃がぞうろぞろ」
施主は裃姿です。武士でなくても、武士コスプレができる機会でもあります。
「施主はみなぶたれたやうな頭で来」
髪を乱雑に束ねてるのは慣れていない装束のせいでしょうか。
「若松を紙でこさへる気のどくさ」
結構お金がかかりそうな江戸時代のお葬式。松葉のかわりに簡易的に紙の花を用いる場合も。
「編笠も外から透くはあはれ也」
使い捨ての目の荒い編笠でしょうか。しかし専用に作るだけでもちゃんとしています。
「人数で買ふ丸綿はあはれ也」
女性は綿帽子をかぶります。ちなみに当時の喪服は白だったので、綿帽子とコーディネイトすると天使のようで、死者も安らぎそうです。
 参列者はお葬式用に粗末な草履を履いて、墓場から戻る時はその場に捨てていく風習がありました。
「寺町に捨た草履の哀也」
「葬礼に足袋を捨てぬは得手かっ手」
多分、ケガレを家に持ち込まないという思想なのでしょう。足袋まで捨てる、ケガレに対して敏感な人もいました。現代では軽く塩をまくくらいで祓えているのか、ちょっと心配になってきます。靴下くらい捨てた方が良いのかもしれません。
焼香の手順は今と同じようです。
「焼香のしょはなに出るは目をはらし」
違うのは和尚さんが最後に強い口調で「喝!」と叫ぶという段取り。これで死者はハッとして死んだことを自覚できます。急に叫ばれて参列者は寿命が縮まりかねません。
「引導はとんと死人をしかるやう」
お棺を埋める穴堀職人は淡々と仕事します。
「愁傷のてい御座なく候穴堀」
「裃で穴を覗くは身内なり」
別れ難く、近親者はその穴をのぞきこみます。
ところで、遺体を火葬する職業を「隠亡」と言いました。以下は、不穏すぎる一句。
「隠ン坊はやたらに人を焼て食」
「食う」というのは「生計を立てる」という比喩的表現ですよね。まさか本当に死者を......? 江戸時代にカニバリズムはないですよね。
「うまさうだなどと焼き場で気の強さ」
でも、この句によると死者を焼く匂いをうまそうだと言い出す人もいたそうで(このしろという魚を焼く匂いに似ているとか)、もしかしたら、と思ってしまいます。
「しわいやつあわれな酒にばかり酔ひ」
お葬式のふるまい酒に酔っぱらう人の牧歌的な句で、お茶を濁したいです。
 忌中の時は髪型も決まっていました。女性は「草たばね」という簡易的な島田髷にしていました。
「強飯の竹の皮まで草たばね」
「目に露をもって萎れる草たばね」
暖簾や屏風、葬列に死装束に髪型と、江戸時代のお葬式は、念入りに手間ひまかけて行っていて、死者を悼む気持ちが伝わってきます。こんなに丁寧に送られたら成仏率も高そう......と思ったら、形見分けでえげつない欲が露呈することもあり、死者も油断できません。
「泣き泣きもよい方をとる形見分け」
「泪はらってねめ廻すかたみ分け」
「わっわっと泣いてかたみを持て行き」
「しっかりと来るとなき出す形見分け」
「形見分け泣き出すやつがたんと取」
派手に泣きながら、死者への思いをアピールして、いい物をもらおうとする人々。
「形見分け始て嫁の欲がられ」
「形見分けうらみつらみのはじめ也」
「小姑が手をつけさせぬ形見分け」
形見分けシリーズの句は多いです。形見分けでわだかまりが生まれることも多かったようです。
「香典の穴をうめろと形見分け」
「百両を淋しくほどく形見分け」
「垢つきばかりうき物ハ記念わけ」
金額が少ないとか、ショボいものしかないとか、内心不満を抱く人も。「垢つきばかり......」の句は、百人一首の「暁ばかり浮きものはなし」という素敵な句にかけていますが、下流感がみなぎっています。
「形見分けはやまり過ぎて取り返し」
最初選んだものよりも後でいいものを発見し、交換したい、というセコい句もありました。
「形見分け以後はいんしん不通也」
物をもらった後、音信不通になる人も。形見分けでしみったれた人間の本性が露になります。
「白い手が出やうとおどす形見分け」
欲張りすぎると、死者の祟りがある、と脅すという最終手段です。結局ホラーな結末になってしまいました。でも、近親者や親しい人なら、幽霊でも側にいてほしい、と思うのが人の常。形見分けで参列者がエキサイトするのを、死者はきっと嬉しさ半分で見守っていることでしょう。

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 姑、小姑ときて次は老後の項目。「生老病死」の「病」にまつわる川柳が「江戸女の一生」にはほとんど収められていませんが、江戸時代の人は穏やかな老衰が多かったのでしょうか? 少なくとも現代のように病院でチューブだらけで最期を迎える、ということはなかったと思われます。施設に入るのではなく、隣近所の人がさり気なく面倒を見てくれていたのでしょう。江戸時代の病気について調べたら、当時の主な病気を番付風にまとめていた資料がありました。「疱瘡」(天然痘)「五疳」(五臓のバランスの乱れ)「中風」(脳血管障害の後遺症)「癪」(疼痛を伴う内臓疾患)など「逆上」(のぼせ)......。東洋医学の用語だからか、漢方薬で何とかなるような印象があります。病気を深刻にとらえすぎず、自然に任せられそうです。
 そして迎えた女の老境。当時の呼び名で「女」「おんな」は若い女を表し、「嫗」「をんな」は年を取った女を表すとのこと。今なら何歳でも強引に女子と言い切ってしまいますが......。「婆」よりは「嫗」の方が字面的にソフトで嬉しいです。
 老嬢についての川柳も残っています。
「御迎いの来るのを隠居は待って居る」
と、枯れて侘しさ漂う句や、
「今は昔に成りにけり婆々の色咄」
と、まだ武勇伝が忘れられない老女の句も。以前、図書館で老女が、友人の女性に対し「結婚のとき、略奪したから泥棒猫って言われたのよ!」と自慢しているシーンに遭遇したことがありました。何歳になっても女は女。一見、色恋とは無縁そうな穏やかなおばあさんでも、そのような話題を振ったら喜んで話してくれるかもしれません。
 年を重ねると「賀寿」といって長寿のお祝いをしました。六十歳は還暦、七十歳は古希、七十七歳は喜寿、八十八歳は米寿、九十九歳は白寿。今にも伝わる伝統です。長寿のお祝いにお持ちを準備しました。本人が紅で「寿」と書いて隣近所に配ったり、元気な人は餅をついたりしました。
「老いの坂峠は餅の名所也」
「賀の餅を腰も強いとほめて食ひ」
餅の粘り気に尽きせぬ体力が現れています。
「餅の礼大きく耳のそばで言ひ」
耳が遠くなって、餅の礼は大きな声でないと聞こえません。
「三十八年いきのびて筆をとり」
当時は人生五十年と言われていたので、そこから三十八年生き延びて八十八歳。
「門松を八十八度通りぬけ」
風流な川柳です。
「米の餅さて極楽にほど近し」
「老の晴れ米を三つに噛みくだき」
考えてみたらお祝いの餅や米を食べられる歯がまだあるのはすごいことです。歯が長く残った人ほど長生きできていたのでしょうか。徳川家康は入れ歯をしていたという記録がありますが、庶民には手が届かないものだったことでしょう。
続いて、九十歳までくると、本人も長生きに飽きてくるようです。
「あつらへ向きの往生は八十九」
「もうよいと薬をのまぬ八十九」
「九十の賀おととし程はよろこばず」
そして九十九歳までくると、珍しい域です。
「九十九で死んで一年惜しがられ」
「九十九もなんぞ書かせてみたい年」
白寿は米寿に比べてそんなに決まったしきたりはなかったようです。その年まで長生きする例が少なかったのでしょう。
夫婦ともに長生きすることを「とも白髪」や「もろ白髪」といいました。
「もろ白髪迄はあぶなき女房也」
まだ妻は女を捨てていないという句です。健康で長生きする秘けつは女をあきらめないことでしょうか。
「古来稀なるおどり子は七十余」
「高野六十さてつづいて薬研掘」
踊り子、つまり芸者さんが七十すぎだったという川柳。「薬研掘」も踊り子が多かったので、芸者さんを表します。
「七十にしてなりふりにのりをこへ」
「論語」の一節にかけて、七十歳を超えて身なりにかまわなくなった、という句もあります。
 また、何歳になっても春を売るつわものの女性もいました。
「稲光り夜たかの皺を一寸見せ」
「提灯が二十四文の皺を見る」
「小作りな夜鷹六十迄島田」
男性目線でしょうか、当時の人も女性のシワを厳しくチェックしていました。六、七十で体を使って働くのは大変なことです。
 ところで当時、八十歳以上の高齢者に慰労の意味で「鳩杖」という杖が贈られる風習があり、長寿のシンボルとなっていました。
「鳩の枝豆は豆腐で食ふばかり」
鳩とはいえ、柔らかい豆腐しか食べられないというシニカルな句です。
「鳩杖を突いても止まぬ豆いじり」
これは語感通り、卑猥な内容の句でした。おじいさんも性欲は尽きません。
「さかさ事ばあ様九十だに達者」
十九歳は女の厄年。その反対の九十歳のおばあさんはピンピンしています。その年まで生きれば厄年も何も超越しています。
 江戸幕府では、長寿を祝って、お年寄りを表彰したり米や現金をプレゼントしたりしていました。現代では、100歳を迎える人にお祝いの銀の杯が贈呈されていたのが、厚生労働省が高齢者の増加に伴い経費を節約するため、純銀から銀メッキにしたという世知辛いニュースが。でも年を重ねたことの価値は、そんな記念品では換算できず、何よりも本人の魂に経験値として刻印されているのだと思います。

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 姑だけでなく小姑との関係も悩みの種。現代でもネットでは小姑は「コトメ」と呼ばれ、さまざまな悩みが綴られています。コトメ、響きは小姑よりもかわいいのですが......。人間関係のトラブルは根本的に変わっていないのかもしれません。
 江戸時代は「小姑一人は鬼千匹」という言葉があり、姑よりえげつないいじめをすると恐れられていました。姑についての川柳も残っています。
「小姑は嫁の悪事の見付番」
常に監視していてちょっとでも粗相をしたら言いつける、NSA(アメリカの諜報機関)の通信傍受やギフハブ(ASKAが盗聴されていたらしい団体)以上に油断できません。
「千疋よりも壱疋に嫁こまり」
鬼千匹よりも小姑一人に手こずる嫁。一番怖いのは人間です。
「姑のいざに小しうとこざをつけ」
合わせて「いざこざ」。気が休まらない家庭の空気が伝わります。
「小姑が嫁の目の下の瘤に成り」
目の上のタンコブよりも邪魔な目の下のコブ。
「姑女の発句小姑脇を付け」
俳諧用語を取り入れている知的な川柳です。姑と小姑の絶妙な連係プレイで、圧力に負けそうです。
「小姑も見やう見真似にいびるなり」
「いぶすより焚き付けるのがにくいなり」
家庭内の暇つぶしのようにいじめています。でも、処世術に長けた嫁は小姑をうまく立てられます。
「小姑に世事で片袖縫まける」
縫い物をする時にわざと小姑よりも下手なフリをして相手をいい気分にさせます。
「小姑へ嫁のきしゃごがやつ当たり」
でも、ふとした時に本音が出ます。きしゃご(貝殻のおはじき)の遊びをしている時に、つい激しく小姑のおはじきをはじき飛ばしてしまったり......。おはじきというのがほほえましく、現代のネットに悪口を書き込むとかよりも精神衛生上良さそうです。
 そんな嫁についていつも案じているのは実家の母。「里の母」と呼ばれます。
「衣類までまめでいるかと母の文」
娘に元気かどうか手紙で尋ねながら、衣類についてもそれとなく聞く母。重要な財産である衣装の安否を探っています。高価な着物など相手の家に取られていないかと......。洋服ではちょっと考えられない価値感です。嫁のブランドの古着を売り飛ばしてもせいぜい1000円位にしかなりません。
「里の母封を切ったを聞きかじり」
姑が勝手に手紙の封を開けるという噂を風の便りに聞いて、憤る里の母。
 でも、そんな気苦労も初孫誕生の知らせに、一時的に紛らわされます。
「国の母生まれた文を抱きあるき」
孫が産まれたのを知らせる手紙を孫のように抱いて喜ぶ里の母。
「里の親産んだ方より気くたびれ」
「あばあばに又立ち帰る里の母」
「里の母来ては小便しかけられ」
家を訪ねて帰ろうとしても、孫のかわいさに引き戻されます。おしっこをかけられても嬉しいです。
「花嫁のみやげは里へ生き如来」
そして孫は生き如来のように崇められるのです。でも、そうやって喜んでいたのもつかの間。心の底にはまだ沸々と黒い感情が......。
「賀の祝ひ目出度も無い嫁の里」
姑の長寿の祝いを意地でもしない嫁の実家。さらに怖い本音は......。
「賀の餅を馬鹿馬鹿しいと里で食ひ」
姑の長寿の餅を「けっ」とか言いながらバカにして食べている様子。内心は早く死ねばいいと思っているようです。
「我に成って死ぬまで行かぬ嫁の里」
姑側もそんなネガティブな念波を感じ、嫁の実家には近づこうとしません。
「赤ひ名を黒くしたがる嫁の里」
この川柳にはぞっとしました。お墓参りをする人はご存知だと思いますが、既に亡くなった人は黒い文字で、その伴侶などまだ生きている人は隣に赤い文字で名前が彫られています。その姑の赤い名前を早く黒にしたいと願っている嫁の実家。呪いの川柳です。いつかはその念は通じ、姑が天に召されます。
「里の母三百年も待つおもひ」
「うす墨の玉章里で安堵也」
「朱が墨に成ったで祝ふ嫁の里」
三百年も待ち望んだ感じですが、ついに姑が亡くなり、うす墨で書かれた喪の手紙にホッとする里の母。もはやお祝いモードです。
「里の母くんねぶったらしけこむ気」
「法事から初めて泊まる里の母」
そしてやっと娘の嫁ぎ先を堂々と訪問できます。小姑と姑にやられていた娘も、ついに形勢逆転です。女のバトルは死ぬまで続くのでしょうか......。
 当時、死後四十九日には牡丹餅を作って親類や縁者に配る風習がありました。嬉々として姑の四十九日の牡丹餅を作る里の母。
「牡丹餅の手伝いに来る里の母」
読んでいて突っ込みたくなるくらい、喜びすぎです。
「ぼたもちをいさぎよく喰ふ嫁の里」
「うれしさにぼた餅を喰ふ嫁の里」
「ぼた餅を笑って喰って叱られる」
 まるで牡丹餅祭りのようですが、江戸時代の人は感情表現が素直だったのかもしれません。心の内に恨みや怒りを抱え続けるよりも、牡丹餅でパーッと発散するくらいが心身の健康に良さそうです。

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 嫁姑の関係は今も昔も緊張感が漂います。女が家に入って「嫁」、女が古いで「姑」と、それぞれのしんどさを表したような漢字も良くない影響を及ぼしているように思いますが......。嫁姑に関する川柳もたくさんあります。
「末ながくいびる盃ばばあさし」
 結婚式から既に予兆がありました。末永くお幸せに、というべき式で末永くいびることを心に誓う姑......。
 一緒に暮らし始めると生活リズムも違います。お年寄りの方が早く起きてしまうので、まだ寝ている嫁は怠けているという空気に。
「三夫婦の内だんだんに夜が明ける」
「もっと寝てござれに嫁は消えたがり」
夜の夫婦生活の気配も姑にバレバレです。「もっと遅くまで寝ていてもいいのに」とイヤミっぽく言われると、恥ずかしさで身の置きどころがありません。
「気に入れば気に入ったとて気に入らず」
息子が嫁を気に入るのがとにかく気に入らない姑。毎日あら探しの目でチェックします。
「手間取った髪を姑はじろじろ見」
「ふんばりのように磨くと姑いひ」
念入りにお化粧している姿にも苛立つ姑。「ふんばり」は女郎とか売女という意味だそうです。今でいう「ビッチ」みたいなディスりでしょうか。
「まきこまれたと噺す姑ばば」
そんなお化粧上手な嫁に息子がすっかり取り込まれたと嘆きます。
「お嫁子様に聞きなよと姑すね」
そして、嫁に取られたことですねる姑。ちょっとかわいいですが、嫁とがんばって張り合おうとしても肉体的にはガタがきています。
「姑ばば咳と一所に一つひり」
「よめん女やゆるさっしゃいと三つひり」
「しうとめの屁を笑ふのも安大事」
なぜか姑のおならシリーズの川柳が豊作で、特殊なマニアがおられるのでしょうか。一人で勝手に放屁しているだけならまだしも、
「あんまりないびりやう姑女屁をかづけ」
「屁をなするとはあんまりな嫁いびり」
と、自分のおならを嫁になすりつける姑もいるようです。
「本の親なら嫁の屁をかぶるとこ」
実の両親なら、娘の屁を自分が出したフリをするところ......と、江戸時代の人はおならについて考えすぎではないでしょうか。当時の食事は食物繊維が多くて出やすかったのかもしれません。
「嫁の屁を地雷火ほどに姑触れ」
万一嫁が本当におならしてしまったら、姑は鬼の首でも取ったかのように大騒ぎします。でもこういうバトルなら、最後は二人笑って仲良くなれそうです。
「姑の日なたぼっこはうちを向き」
「花嫁のおちどをじろりじろりと見」
こちらは陰湿に、嫁を厳しい目でじっと監視している句です。
「猫の目によくにた顔に嫁くろう」
常に姑の視線を感じています。唯一解放されるのは、「看経(かんきん)」、姑が仏壇を礼拝し読経している時だけです。
「かんきんの間うれしき顔弐つ」
「魚と水尻目にかけておかんきん」
魚と水は仲の良い例えで、若夫婦を表しています。
「かんきんの間々にうしろむく」
しかし途中でこっちを向く場合もあり、油断できません。
「かんきんがすむと居ずまい嫁直し」
「かんきんをそこそこにしてとっ〆る」
若夫婦のリア充な雰囲気が許し難いのか、後ろを向いて読経する姑も。仏壇にお尻を向けてしまって良いのでしょうか......。ここまでくるとギャグの域です。
「しうとばばうしろ向き向きかんきんし」
「御詠歌のかなきり声が嫁いぢり」
浄土真宗の御詠歌で鍛えた声で嫁を叱ったりするのでしょうか。
「嫁に火をすり仏に数珠をすり」
「抹香をひねり嫁もひってる」
「火をする」「ひねる」とか何をするのか不明ながらも拷問チックな響きで恐ろしいです。まだ屁をひっている方が平和です。
「たのしみは嫁をいびると寺参り」
「いびりてを沢山よせる談義僧」
いびりて=姑世代が集まる、お寺の説法タイム。
「お講義も聞きたし嫁もいびりたし」
「談義場で嫁の仕打ちを交易し」
姑世代同士、嫁の悪口で盛り上がります。嫁の愚痴は女同士共感するためのコミュニケーションだったのでしょう。
「談義場のくしゃみ戻て嫁をねめ」
噂されているのを察し、くしゃみをする嫁。悪い予感しかしません。
「川施餓鬼お経がすむと嫁のこと」
お寺の儀式が終わると、やっと嫁いびりの時間になります。
それにしても、お寺に通ったり読経したり、仏さまへの信仰が厚いのに、女の業が全く軽くなりません。ふつう読経やお参りで心が軽くなり浄化されるはずですが......・
「羽根をつく年かと姑初小言」
お正月から、羽根つきをする嫁にお小言。
「もつれ糸おへなくなると嫁に遣り」
糸がもつれて絡まったのでお嫁さんに押し付けます。
「針みぞの時ばかお糸お糸也」
針に穴が通りにくい(老眼?)ので、その時だけ嫁に呼びかけます。
「嫁にたのまぬ針めどのむずかしさ」
もっと険悪だと針仕事すら頼みません。
「線香を立て立て先の嫁をほめ」
さらにホラーな展開です。前の嫁をいびり殺しておきながら、表面的にはホメてみせる姑。
「しうとめの遺言去ってしまへなり」
遺言で嫁への憎しみを吐露。やはり当時は狭い家で始終顔を合わせてならないとならないので、確執も悪化してしまう一方なのでしょう。
「憎そうに盛りやったのふと姑婆」
体調が悪くなると、嫁に毒を盛られたと被害妄想に......。
ただこれらの川柳では姑がヒールというか悪役度が強調されすぎているようです。対して、嫁の句はけなげで同情を誘います。このような川柳は、男性が作者の場合、年増より若い女に肩入れしている、ということなのでしょうか。ちょっと複雑です。
「長い目でごらふじませと嫁は言ひ」
長い目でご覧ください、と静かに耐える嫁。
「美しく堪忍袋嫁は縫ひ」
「三疋の猿を心に嫁ハ飼ひ」
見ざる、聞かざる、言わざる、心にインナー猿がいて、姑をやりすごしています。賢明なお嫁さんです。
いっぽう、孫は目に入れても痛くない姑。
「初孫はかわゆし産だ奴にくし」
「孫が出来たら喰いさうなおばばさま」
「孫をあやしあやし嫁をにらみつけ」
孫をかわいがりながらも、嫁はにらむという......憎しみと愛が交錯しています。
「嫁手がら鍾馗で鬼の角がおれ」
「初孫の力姑の角を折り」
孫の存在で、姑の角は折れて、ハッピーエンドという場合も。
少ないながらも、嫁姑の関係性が良好な川柳もありました。
「物さしを嫁になげるはうつくしひ」
当時は「物差しを手渡しすると仲が悪くなる」という迷信があったようです。投げて渡すのは、相手と仲が良い証拠です。
「手を出さっせへと物さし姑出し」
わざわざ物さしを手渡ししようとする好戦的な姑もいるというのに......。
「我が嫁の時を忘れぬいい姑」
「糸車仲よく廻す嫁姑」
「仲のよい嫁はお経をよみならい」
ピースフルな光景が目に浮かびます。
「いい姑朝寝の嫁を掃き残し」
若夫婦の夜の生活にも理解を示しています。
など、良い句はただ素晴らしいですが、やはり川柳としてのおもしろさということになると、不仲の句の方が印象に残ります。これも人間の業でしょうか......。嫁姑バトルは一種の娯楽だったのかもしれません。

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 友人から「主人です」と夫を紹介されたとき、その主人という呼び名に尊敬の念がこめられているように感じ、良い関係であることが伝わってきました。しかも主人というだけで立派な人に思えます。「旦那」「嫁」という呼び方にも憧れます。「細君」だと文学的で奥ゆかしいイメージ。「愚夫」「愚妻」は謙遜の表現ですが、ディスっているような後味の悪さがあります。
 など、現代でもいろいろな呼び方があり、迷うところですが、江戸時代は妻をどう表現していたのでしょう。実は身分によって呼び名が決まっていたようです。江戸末期の本「塵塚談」には、
「以前は幕府の役人の妻をかみさまと言ったのに、今は商人までがその言い方をまねる。さらに御新造様とは大名の妻のことだったのに、今では町人がそう呼んでいる」
と嘆く文面があったとのこと。また、別の本には、大阪と江戸でも妻の呼び名が違うと書かれていたり、身分によっても変わってきて複雑です。今では「奥さん」で大体通じますが、当時は身分の高い武家の夫人しか「奥様」と呼べませんでした。
「隔年に枕さびしき御内室」
貴人の妻を内室と言いました。この川柳では大名の妻で、参勤交代で夫が不在の間の淋しさを綴っています。
「時鳥よりも奥様お待ち兼ね」
渡り鳥のように4月になると戻ってくる夫。ちなみに領地に赴任している間は当然のようにその地に妾が......。身分が高いからと言って許されるわけではないと思いますが、当時の風習だったんですね。
「奥様のおひろひ足がねばるやう」
暇を持て余しているのか、ゆっくり散歩する武家の夫人。
御新造もセレブ的な身分の高い妻の呼び名です。
「おぬしもぐるでかくしゃると御新造」
主人の浮気を疑い、主人のお供の草履取りを詰問する妻。草履取りという使用人がいるなんて相当な身分です。やはり今も昔も、男性が地位と権力を得ると、アドレナリンで性欲過剰になってしまうのでしょうか。「グル」という単語は江戸時代からあったという意外な発見も。
「御新造ははやった人と御ぞういひ」
今はとりすましているセレブ妻も実は昔は遊女だった、という噂が出回っている、という句です。玉の輿には詮索がつきまといます。
「御新造も普請の内は惣後架」
御新造さんは裕福でトイレも家の中にあるけれど、工事中は長屋の共同トイレを利用せざるを得ない、という下衆な内容です。
「御新造をかみ様といひ叱られる」
「かみ様」は中流の家の呼び名なのに、御新造に使って、気安く呼ぶなと怒られたようです。
「御新造と内儀と噺す敷居ごし」
家柄が違うと一緒の場には座れないので、敷居ごしに会話。ランクは奥様→御新造→おかみさんの順でした。もしかしたら現代は皆それなりに便利で快適な暮らしをしていてトイレもお風呂もあるので、江戸時代の奥様的な身分ということで、自然と奥さんと呼ばれているのかもしれません。
「内儀の名むかししづあやなどといひ」
また、もと遊女の内儀を暴く川柳が。当時はツイッターやSNSのように川柳で噂が拡散されていたようです。
「お内儀は師匠の留守に出てしかり」
「お内儀のうけとり発句書いたよう」
きちんとして折り目正しい内儀はやはり庶民の妻よりワンランク上です。
「御内儀は千六本に酢をかける」
大根の千切りに酢をかけてお上品に食べるおかみさん。長屋では大根は大根おろしで食べていたようです。
 いっぽう庶民の夫は、妻のことを「かかあ」と呼んでいました。今も「かあちゃん」とか呼んでいるおじさんを見かけます。
「かかあどのとは四五人も出来てから」
妻が子どもを4.5人産むと尊敬の意味をこめて「かかあどの」にランクアップ。また、庶民の夫はあまり権限がなかったため、自虐的に「かかあどの」と呼んでいた節もあるようです。
「かかあどの姫始めだと馬鹿を言ひ」
かかあという俗な呼び名と、姫始めという単語のギャップをおもしろがる句です。
「かかあめが細工だと出す似た鰹」
上流の家では新鮮な鰹を刺身で出すところ、庶民の家では煮付けにアレンジ。
「かかあの月見宿六はさへぬ面」
妻が生理中で夫ががっかり、というあられもない内容。かかあに対応する夫の呼び名は宿六でした。「宿のろくでなし」の略ですが、どこか愛情も感じられます。今の、夫を粗大ごみとか呼ぶのよりもずっと......。
「山の神気に入る女おこぜにて」
「山の神」とは崇めているようですが、実は当時は「かかあ」よりも低い呼び名でした。口うるさくて恐い妻、がこう呼ばれます。この句は、おこぜ似で不細工な下女を置きたがる(夫の浮気防止のため)妻の本音について綴られています。
「山の神団子を投げる月見過ぎ」
吉原など遊郭で遊んできた夫に、月見団子を投げつける妻。団子なんて当たっても痛くないし、結構優しい抗議に思えます。
「山の神日々にあきれる御神託」
日々、夫のあら探しで小言ばかりいう妻。御神託というとありがたいものに聞こえますが、弱い立場で揶揄&卑下する夫のいじましさが漂っている句。
町家の庶民の家でも妻は「かみさま」と呼ばれました。
「かみさまぢゃ出来ぬと逃げる初鰹」
鰹売りの商人は、値切りテクが巧みなかみさんから逃げるように場所を移動。江戸時代から主婦は倹約上手でした。
「かみさまをいくらも寄せる柏餅」
「かみさまが留守だとてんやわんや也」
一家の家計や雑事をこなしながらも楽しそうに生活する、タフでしっかりした妻の姿が現れています。「かみさま」「山の神」といった妻の表現には、人間の中に根源の神の存在を見いだしているようで、そう呼ぶことで夫婦関係がうまくいきそうです。相手を神仏扱いしてありがたがるのは、夫婦円満の秘訣です。

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 浮気の弁解のセリフ「不徳のいたすところ」とは一体何のことなのでしょう。下半身のいたすことは、別人格なのでしかたがないという言い訳でしょうか。先日、歌舞伎役者の不倫騒動の会見を見たら、シリアスな表情なのにどこか、京都の美人芸妓と浮気したというドヤ感&甲斐性アピールが......。女性が浮気すると激しく断罪されるのに、男性だと軽い扱いなのが理不尽です。
 江戸時代の夫婦の浮気事情はどうだったのでしょう。不倫は不義密通という重罪だったとされていますが、実際はお金で解決できていたそうです。また、男性の風俗通いの風習もありました。遊郭といえば吉原で、そのほかに品川、深川、新宿、板橋などの色町が点在。メジャーなところは「本場所」と呼ばれ、それ以外に「岡場所」というカジュアルな遊び場もありました。
「たまたまはよいと亭主はふとく出る」
「あの義理のこの義理のとて出られやす」
適当な理由をつけて女遊びに出かける夫。たまには良いだろう、と開き直る人もいます。
「風ふかばどころか女房嵐也」
こちらは知的な引用の川柳で「伊勢物語」の「風吹けば沖津白波たつた山夜半にや君が一人越ゆらむ」という歌に由来しているそうです。伊勢物語の方は、夫が浮気して別の女のもとに通っているのを知りながら、道中の安否を気づかう妻の思いを詠んでいて、けなげさに目頭が熱くなる歌です。それに比べて川柳の妻は嵐のように激怒......というかそちらが普通です。
「胸ぐらとたぶさをわける両どなり」
胸ぐらをつかむ妻と、髻を引っ張る夫。修羅場の気配です。なぜ夫が逆ギレしているのか、という気もしますが......。
「さし足で帰る亭主は邪推なり」
と、そっと気付かれぬように朝帰りする夫。でも気付かれたら大変です。
「女房のどなるは安い朝帰り」
「すりこぎの出るのは安い朝帰り」
髪を振り乱し途中まで乗り込んでくる女房も。
「女房は土手のあたりで髪がとけ」
妻が無言で静かな怒りを漂わせているというのも逆にプレッシャーです。怒鳴ったりして怒りを発散してくれる方がいいかもしれません。
「女房が利口でこまる朝帰り」
「移り香を女房はむごく引ふるい」
「朝帰り旦那が負けてしづか也」
円満に仲直りする句も。
「今度から行きなさんなと仲直り」
男性の素直な思い、リビドーについて語った句は
「女房のじれる程には持てぬ也」
というものが。男女間で性欲の差があったのでしょうか。当時の女性は家事の負担が大きいので、夜にはあまり体力が残っていなかったのかもしれません。
いっぽう、旺盛な夫は、下女の方にいってしまうことも。下女という名称がまず不憫で、言われるがまま主人に従う、絶対的な主従関係を匂わせます。
「おりんめにさとられるなと下女へ這ひ」
「おりん」とは「焼き餅焼き」の意味で、この場合妻のことを指します。下女と共犯関係で結ばれようとする姑息な夫。
「産前と産後に下女は用い」
これはひどい......。妻を何だと思っているのでしょう。下女にしたって「用い」とは、まるで道具のようで蔑視的です。
「焼塩で湯漬け喰ひ喰ひ下女をねめ」
夫と妙に馴れ馴れしい下女をチェックする妻。下女、お手伝いさんはたいてい一年契約だったそうです。
「重年をさせなさるかと水をむけ」
しかし主人と密通した下女は、寝所でそれとなく翌年も雇うように要求。これが枕営業の元祖でしょうか。
「しょこなめた下女は今年も今年も居」
こっそりいいことをする、という意味の「しょこなめた」。語感も妙に卑猥です。
美しい下女(美下女)だと妻も警戒し、二人の動向を観察。
「すっばりと這はせておいて内儀起き」
「寝たふりで這ひこむとこを女房見る」
同じ家に美人がいたら、何か問題が起きることは予想できますが......妻より不細工な人を雇うとかで対処できなかったのでしょうか。
「おやおや旦那様がと下女小声なり」
「アアラ旦那の滅相と下女たまげ」
なんとなくいい雰囲気で誘っておきながらも、実際に夜這いに来られたら驚いてみせる下女の処世術。
「下女亭主帯ひろどけで〆られる」
現場を妻に押さえられると、非常に気まずいです。
「あくる朝下女は旦那をじろじろ見」
「這った明日下女女房無言なり」
「女房ツン下女ツン亭主やはりツン」
「ツン」という擬音は江戸時代からあったんですね。いたたまれない空気が漂う句です。
実際の現場を押さえる以外でも、浮気がバレることが。
「はやり目が女房を置いて下女へ行き」
夫の眼病がなぜか妻にうつらず下女に伝染。言い逃れできないものがあります。逆に、夫が女郎からうつされた性病が妻にうつることも。現代でもありますが、妻にしてみれば怒り心頭です。家計を風俗に使われるだけでなく、治療費の支出があるとは......。
「鴛しらみ女房にゆすりぬかれたり」
「巻ぞいにあって女房も山帰来」
「山帰来女房ぶってうつらで飲み」
「山帰来」は梅毒の薬。妻が怒りながら薬を飲んでいる、という句です。江戸時代の梅毒罹患率はかなり高かったようです。梅毒の起源は、コロンブスがアメリカからヨーロッパに持ち込んだという説が(ヨーロッパからインド、中国、日本へ)。英雄イメージのコロンブスですが、何てことをしてくれたのでしょう。梅毒にかかってこそ男は一人前、梅毒を経験すれば遊女は一人前、といった間違った価値感も蔓延していた江戸時代。半分性病で脳がやられていたのでしょうか。エロ時代はどうかしてました。
 夜這いが得意で下女扱いに長けていた江戸の男性ですが、妻の女友達とはどう接して良いかわからなかったようです。
「女客亭主ちそうに他出する」
空気を読める夫は外出してくれましたが、
「女客亭主にこづきしかられる」
「女客亭主出ばって比られる」
妻の友だちが美人だとちょっかいを出して叱られたり。
そして夫を追い出すと、女同士は気の置けないトーク
「女客さすが鸚鵡もあきれはて」
「女客先ず重箱をはしらかし」
おいしいものを食べながら、オウムが引くほど喋りまくり盛り上がります。女子会の起源がここにありました。きっと夫の浮気の件などもここで話してストレス発散していたのでしょう。いつの時代も女性はタフです。

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 江戸時代の奥さんはかなりハードです。育児から家計のやりくり、炊事洗濯、裁縫など何でもこなさなければなりません。その体力と生活力に、尊敬の念を送ります。新婚さんの甘いムードに浸る間もなく、すぐ現実がやってきます。
「寝せ付けて亭主とかわる松の内」
「真中にあんよはお下手ぶら下がり」
気ぜわしくも幸せそうな育児の川柳。この頃はまだ夫婦間も仲良さそうですが、次第にシビアな空気に......。
「一つ身ハ二つにならぬ内に縫い」
着物作りもお母さんの仕事です。木綿巾一つでだいたい二着分だったようです。布を倹約したいという堅実さが伝わります。
 川柳にも表れていますが、江戸時代の奥様は節約上手でした。
「もう嫁は二わで五文を買ならい」
一わ三文(40円くらい?)の菜っ葉を二わで五文に値切っています。行商から直接買うのでできる技です。
「急な客ちりめんざこへ海苔を人れ」
家にあるものでパパッとおつまみを作る主婦の知恵。普通においしそうな組み合わせです。グルメ意識が高い江戸人。とくに初物には目がなく、中でも大人気だったのが「初鰹」でした。一本何万円もしましたが、縁起物で、初鰹を食べると750日も長生きするとされていました。ちなみに今、通販サイトを検索すると、初鰹のたたきがポン酢やにんにくとセットで1380円、という特価で売られているのを発見しました......。
「初鰹女房に小一年いはれ」
「おいらもならもふかを着ると初鰹」
旦那が食欲に負けて、高い初鰹を買ってしまったら、これで木綿でも買えたのに、と一年くらい妻にグチを言われ続ける、という、超リアリストな句です。
「秋冬に鰹の小言再発し」
「寒い時お前鰹が着られるか」
暖かい真綿の木綿が買えたお金で初鰹......。妻のイヤミが時代を超えて現代人の心に刺さります。
「意地づくで女房鰹なめもせず」
反対していたのに初鰹を買って来た夫に対し、意地でも食べようとしない妻。おいしいと思ったら負けで、毎年買わされてエンゲル係数の波に飲み込まれてしまいます。
「ふぐ売りへ女房はまけぬよふに付け」
夫がふぐを食べたがるかもしれないので、わざと値切らず行商をスルーする妻。毒に当たって死ぬかもしれない、という心配もありました。
魚では、鰯や塩鮪が比較的安くて買いやすかったようです。
「鰯より外を喰ふと穴が明き」
鰯以外だと家計に穴が開く、という意味です。
「塩まぐろ取巻いているかかあたち」
ちなみに、現代でも、安いまぐろに粗塩を振っただけで高級感が出る、という料理の小技があるようです。
夫のグルメ欲が旺盛で、樽酒まで頼もうとする場合も。
「樽酒の利害女房ハふのみこみ」
「樽酒が徳ぢゃとおもふたはけもの」
一見割安でも、樽酒があると酒量が増えて結局は無駄遣い&飲み過ぎて夫は廃人の道に......。それに気付いていた江戸の奥様はさすがです。
 いっぽう、江戸女子の大好物は現代とあまり変わらない、カボチャやサツマイモでした。
「初南瓜女房ハいくらでも買う気」
「ご亭主が留守で南瓜の値が出来る」
「かかあたち第二のすきがさつまいも」
「小道いをかすり薩摩を女房買い」
初鰹やふぐを買わないように攻防戦を繰り広げていたのが、カボチャやサツマイモは夫のいぬ間にしれっと購入。そんなに高いものではなさそうですが......。カボチャやサツマイモでスイーツ気分を得られたら、かなりヘルシーです。様々なスイーツを知ってしまった現代人には戻れない、江戸女子の境地。
「女房へかぼちやのいしゅでフグを買い」
カボチャを買いまくる妻へのリベンジでフグを買う夫。食べ物の恨みは根深いです。
 冷蔵庫や電子レンジなどもちろんないので、食材はその日に買って消費するのが基本でした。残ったごはんの量を見て、米をたくタイミングも重要です。
「ひやめしのぎんみがすんで米を出し」
そして、炊事は薪をたいて行われていました。電子レンジに頼り切っている身としては本当に尊敬します。そんな薪代を持って、女郎屋に行ってしまうというダメ夫も......。
「女房のいけん壱分がまきをつみ」
一分は約4万円、現代の風俗代とそんなに変わらないリアルな値です。その値段分の薪を買ったらどれだけになるか、と詰問する奥さん。性欲の炎は何の役にも立ちません。
 薪だけでなく、夜の灯りのための灯し油も必要でした。
「気を長く油のまけを待って居る」
油売りから買う時に、油が垂れる最後の一滴まで入れてもらおうとしている様子です。 
「油より今は蛋に銭が入り」
蛍の光を照明に使うのは風流ですが、油の方が安いことに気付きました。蛍は餌代もかかります。
 奥さんがへそくりを隠すのは今も昔も変わりません。江戸時代は針箱にしのばせていたそうです。
「針箱は臍くり銭の文庫蔵」
「針箱をさがすと女房とんで出る」
夫が針箱に触ろうとすると、バレたらまずいので妻が静止します。
「女房をこわがるやつは金があり」
妻を恐れて消費行動が抑えることで、貯金が増えるという流れが。
「さぼてんを買って女房に叱られる」
家計を切り盛りしている妻をよそに、生活感がなくて、必要ないものを買ってきて叱られる夫。他にも妻に「叱られる」シリーズが豊富です。
「飯びつをまたいで亭主叱られる」
「針売りをかえし亭主は叱られる」
「寝かす子をあやして亭主叱られる」
「手のひらへ赤子をのせて叱られる」
「お歯黒の方へはわせて叱られる」
「蕗味噌を子になめさせて叱られる」
と、何をやっても叱られる夫。当時はイクメンという概念もなく、ふだん何もしないのに気まぐれに手伝うので妻を苛立たせているのでしょう。お酒を飲んだら飲んだで翌朝、醜態をまねする妻......。
「あくる朝女房はくだをまきもどし」
「酔たあす女房のまねるはづかしさ」
夫婦間の愛情が次第に冷めていっている様子が伝わります。
飲酒だけでなくギャンブルに身をやつす夫もいました。
「勝ったなら逃げてきなよは女房なり」
「勝った日は意見言わぬが女なり」
勝てば博打も正当化......。それにしても、食欲は旺盛でお酒も好きで博打もするという、江戸時代の夫は、ちょっとどうなのでしょう。やりたい放題すぎではないでしょうか。妻が少しくらいカボチャやサツマイモを食べても良いような気がします。
 続いて次回は、さらに許されざる夫の行状についてです。江戸時代の奥様、本当にお疲れさまです。

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 原始的でタフな江戸時代の出産。気付け薬は、お酢でした。お酢には疲労回復や殺菌など様々な効果があり、日本のアロマセラピーの元祖かもしれません。
「酢のわけを聞いて酒屋の内儀起き」
「酢だそうだ進ぜ申せと内儀起き」
酒屋も出産に必要だと言われれば夜中でも起きて店を開ける人情タウン、江戸。さらに親類や長屋の人総出で安産祈願のため、神社にお参りしたり、川垢離で身を清めて祈願したりしました。
「安産を百度参に知らせに来」
「あんじたる親より安く娘うみ」
周りの人々の祈り&酢のパワーのおかげか安産で生まれてきたおめでたいケース。
「産婦へはよろこびいふも首ばかり」
「安産の祝儀は屏風ごしにのべ」
屏風ごしに、出産後の産婦さんをお見舞いします。
中には誰にも手助けされず、ひとりでお産してしまう強者もいたようです。
「野良ヘ出た留守に一人で産で置き」
「まづちょっと産んでこべいと田を上り」
しかも野外で出産する産婦......。生命力の強い子どもに育ちそうです。
「生れ子は乳のにせ首をしやぶってゐ」
生まれたばかりの赤ちゃんには、解毒剤として海仁草を包んだ布をしゃぶらせたそうです。かなり苦くてまずいそうで、生まれた瞬間に、人生は苦であるという仏教思想を体感させられます。
 後産の胞衣(胎盤)は、穴を掘って埋める風習がありました。産後5日目か7日目に吉方位に埋めると良いらしいですが、現代人、全然そんなことしていなくて大丈夫でしょうか......。
「それはまあおめでたいねと鍬をかし」
「鍬を貸しながらちんこかめめっこか」
近所から鍬を借りて埋めていたようです。男児か女児か、いきなり性器の名称で訪ねる奔放な江戸人。
「もめるはず胞衣は狩場の絵図のよふ」
当時の「胞衣あるある」では、胞衣を洗ったら父親の紋が浮き上がってくるというオカルティックな言い伝えがあったそうですが、それが実際の家紋と違ってもめることも......。全て気のせいかもしれません。
「ゑなの上初てどらものにふませたい」
そして、埋めた土の上を最初にまたいだ人のことを、赤ちゃんが嫌いになる、という言い伝えもありました。「どらもの」は「ドラ息子」の意味です。
産婦は回復のために、味噌漬けや焼塩、魚肉などを食べました。
「味噌漬で亭主湯づけをご相伴」
「焼塩のやせが産婦の肉になり」
「乳の薬にと里から魚がくる」
産後クライシスの兆候か、夫に苛立ったり、物音に過敏になる産婦も。
「犬が吠えますと産婦に起こされる」
「三度まで産婦に聞いてぢれさせる」
食事療法と安静にすることで回復した産婦。日常生活が戻ってきます。
「流し元肥立った女房笑ふなり」
「緒を解いて鏡に向かふ久し振り」
幸せな瞬間が描写された句です。しかし、その一方で、いたましいことに充分な医療設備もなく、亡くなってしまう産婦もいました。
「むごらしさ赤子は現世母は過去」
「南無女房ちちを飲ませに化て来ひ」
「人間の子までそだてる牛の乳」
無念のまま亡くなった母が幽霊となった物悲しい川柳。そして母乳の代わりに牛乳を飲む赤ちゃん。今でいう粉ミルクのような、米粉に砂糖を加えた「白雪こう」という品もありました。神田豊島町の米屋吉兵衛で売られていたため「としま町」とも呼ばれていたようです。
「としま丁母のない子を育てあげ」
「やせた子の露命をつなぐとしま町」
「七人目白雪こうでそだて上げ」
「白雪こうもいはば母親」
虎屋のサイトによると、白雪こうは、良寛も好物だったというか、困窮し空腹のあまり菓子屋に白雪こうを恵んでほしいと綴った手紙が残されています。滋養強壮にもなりつつ、お菓子としてもおいしかった栄養機能食品のようです。
 しかし良寛が買えなかったくらいなので、それなりに高かったのかもしれません。白雪こうを購入できない場合は、赤ちゃんのために近所に乳もらいに出かけました。
「乳貰いの袖につっばる鰹節」
お礼のために鰹節を用意。しかし想像すると精神的にハードそうです。「母乳をください」なんて、隣近所の交流が盛んだった江戸時代でもなかなか頼めません......。
「親は子の為にやつれて乳貰い」
「乳貰いの帰は夢を抱て来る」
「乳貰いの親は子よりも泣あかし」
「乳もらいに大の男ハむごい事」
男親が乳もらいのため泣きながら近所を訪ね回るシーンが切ないです。
「乳貰ひは冬の月ヘも指をさし」
寒い冬、空腹でむずがる赤子に月を見せてあやしている叙情的な情景です。
「乳もらひは極楽の気で飯を焚」
「乳貰ひは待つ間に一寸一手桶」
母乳を分けてもらえるとなったら、大喜びで飯炊きの手伝いでも何でもします。水汲みもおやすいご用です。江戸時代のイクメン道は険しいですが、寡黙に耐えている日本男児らしい姿が垣間見えて、静かな感動を誘います。
 話は変わって、夫婦は出産後75日間は、夜の生活は慎まなければならないという習わしがありました。
「御不自由旦那なさいと取揚婆」
と、性欲が強そうな旦那に対し、忠告をする産婆さん。
「産後大切七十五日休み」
産後の養生のため、産婦は厳重に禁忌を守っていました。江戸時代は、一年のうち性行為をしてはいけない日も定められていたり、一見おおらかだけれど、厳しい部分もあります。この間浮気に走らないのか心配です......。
「今少し七十五日暮れかかり」
ついに七十五日目が終わると、楽しみにしている男心。
「いやと言わせぬ七十六日目」
「鼻紙の用意七十六日目」
「つひぞない朝寝七十六日目」
鼻紙とはティッシュでしょうか。抑えていたものがほとばしってそうです。朝寝するほど、というのも生々しく、連続回数の多ささを物語っています。
「まちっとじゃ青田刈る鎌といでゐるつむ
「八反の青田に母は鳴子引く」
出産後、はじめて行う行為を「青田八反の味」と呼んでいました。豊作が期待できる農地の意味で、お米の味の良さを女体になぞらえています。やはり米は日本人のソウルフードです。しかしあまりに激しい行為だと、産後の体にこたえます。
「女房が永血亭主の不埒なり」
夫が無理強いしたせいで、体調不良が長引くこともありました。
「里の母そばにねるので血を納め」
夫の性欲を萎えさせるため、実家から母親を呼んで近くに寝てもらうという秘策もありました。逆に興奮する夫もいそうな気も......。昨今セックスレスの夫婦や絶食男子が問題になっていますが、ありすぎても困ります。いつかちょうど良い時代が来るのでしょうか......。

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 江戸時代の出産、全く想像つかない世界ですが、ハードそうです。当時の川柳をひもとくと、ただリスペクトするしかないお産事情が......。
 まず、陣痛が始まると、すぐにお歯黒にするという風習がありました。産後はなかなか歯を染める暇がないというのが理由です。以前、白金のカフェでセレブ風妊婦が「しばらくネイルサロンに行けないからペティギュアをしてきた」と優雅に語っているのが聞こえましたが、江戸時代の女子はまずはお歯黒が優先です。
「お歯黒はしくしくかぶる内につけ」
「かぶる」というのは「虫がかぶる」、陣痛のことを表現しています。
「いそがしく染めたがさいごづ横柄」
お歯黒にすると腹が据わるのか、旦那に対しても横柄になり、顎で使うようになる様子が書かれています。ダークマターが噴出しているのでしょうか。
「苧をかけた女房に聞く水加減」
産気づくと、「苧」という麻の茎の繊維で作ったひもで髪を結います。身だしなみを整えて出産に挑む、江戸女子の美学。現代の女性はラクしてすみません......。苧は神聖な麻でできているので安産の霊験もありそうです。
「気の毒さ嫁にはやめを煎じさせ」
当時も分娩促進剤が使われていて、「はやめ薬」と呼ばれていました。
 そして出産の体勢は「座産」、座った体勢でお産するそうです。寝ていると頭に血が上るから良くないとされていたとか。現代でも座位分娩は、胎児が降りてきやすいという利点があるようです。産籠という竹製の籠や、曲禄という背もたれのある椅子に座って行いました。エマニュエル夫人みたいな優雅な竹籠の椅子を想像します。
「十月目に曲禄へ乗る山の神」
「曲禄へ乗る女房のおめでたさ」
「産籠の返礼軽い肴なり」
産籠は近所で貸し借りしていました。隣近所との関係が密な時代だからこそできることです。
 出産時は天井から下がっている「産綱」を掴んでいきみます。原始的なイメージですが、当時は合理的だったのでしょう。
「産綱のあんばいを見て笑はせる」
「ふさ下げてちょっと男が産で見せ」
夫がふざけて産綱につかまる様子が綴られている川柳です。しかし出産自体には、血のけがれが敬遠されていたので夫は立ち会わなかったようです。
 そのかわり、重要な役割を果たしていたのが産婆、いまでいう助産師さんです。江戸時代では、50歳以上の女性がこの役割を担い、「取揚婆」と呼ばれました。
「とりあげばば五十以上の弟子を取り」 
やはり年が上の女性ほど経験値が高く、落ち着いて出産の手助けができたのでしょう。しかし職業名に「婆」の字が入っているのは、女性としてどうなのかと思います......。明治時代は「産婆」という名称で、昭和23年に「助産婦」に変更、さらに平成14年には「助産師」に変更され、穏便な名称になりました。
 取揚婆は人の命に関わる仕事をするので、緊急的に大名行列の前を横切っても、特別に許されるという特権を与えられていました。
「大名を胴切にする子安婆々」
大名行列を突っ切っる取揚婆。
「とりやげばば供を割ったがきついみそ」
「きついみそ」は、自慢しまくるという意味で、ドヤ顔で武勇伝を語る取揚婆の姿が目に浮かびます。ちなみに、医者や飛脚も大名行列を横切ることが黙認されていたようで、実際は意外とユルく、斬り捨てられるというのは後世、話が盛られていったのかもしれません。
「駕賃はお屋敷払い取揚婆々」
一刻を争うため、駕篭に乗って駆けつけることがあったとか。駕篭代はその家持ちです。富裕層のケースでしょうか。
「わたし場に気をせいてとりやげばば」
渡し場で舟に乗ってかけつける、ちょっと庶民的な取揚婆。
「とりやげばば目やにだらけな顏で来る」
なりふり構わず急いで来た様子が伺えます。
「さらわれるよふな目にあふ取揚ばば」
まるでさらわれる勢いで、迎えの人に連れて行かれる取揚婆。
「おそく来てばばあ目出たく叱られる」
と、遅れて出産に間に合わなくなることはなんとしても避けたいです。しかしおめでたい場なので、そこまで叱責されることもありません。
それにしても、結構、取揚婆いじりの句が多いような......。どこかムードメイカー的な存在だったのでしょう。
「そっと来てそっとささやく取上ばば」
どんな様子か聞いて、的確な指示を与えます。そして出産が無事終えられると、待機していた人に取り囲まれます。赤ちゃんの性別など聞かれたのでしょう。
「取揚婆々屏風を出ると取まかれ」
重要な任務で、大切にされ、女性にとってはやりがいのある仕事です。
「取揚ばばみそづけなどで一つ飲み」
出産した女性は、最初に味噌漬けを食べるのが良いとされています。ご相伴にあずかり、味噌漬けを肴に一杯飲む取揚婆。熟女の気安さが表れています。
 出産はおめでたいと同時に、死と隣り合わせで、当時はけがれの思想もあったので、どこか魔女的で超越している存在である取揚婆が、霊的にも頼りにされていたのでしょう。熟女が輝く社会、江戸時代。現代にしてみれば迷信に見える習わしも、実は本当に効果があるのかもしません。

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 女性が青い顔で「うっ」と言って洗面所に駆け込む......。今も昔もつわりのシーンの定番ですが、江戸時代も同じく、ご懐妊の兆しは体調の変化に表れていました。女性のセンシティブな体調についてもしっかり川柳が残っています。
「花嫁はその頃といふ病ひ也」
「はづかしさそだろふといふ病ひ也」
おめでたいことですが、吐き気などが出るため「病」という表現をしているようです。
「つわりから嫁はおつけも喰ひならひ」
食べないでいると栄養が不足してしまうので、がまんして味噌汁や漬物を食べる妊婦。今だったらヨーグルトやゼリーなどが食べやすいようですが......。味噌汁や漬物の匂いをかぐとこみ上げてくるものがありそうです。
「嫁のヘど其時分だと見世で云ひ」
「へど」というえげつない単語が出てきました。壁も薄いし、奉公人や隣近所に筒抜けです。
「つはりやみ姑は鼻であいしらひ」
姑は、お嫁さんがつわりで苦しんでいても、自分はその時期はふつうに働いていたとか言って冷たいです。いっぽうで、実家の母は娘の懐妊を待ち望んでいました。
「里の母来ると御客のさたを聞き」
と、生理の有無を尋ねます。生理がないとなるとお医者さんのところで診察し、妊娠確定。
「でござりませふと御医者にいこいこ」
つわりで気持ちが悪い時は、酸味ですっきりしたくなるのも江戸時代の妊婦さんも同じ。身近に手に入るのは梅でした。
「青梅を干物棹で嫁おとし」
「そっとよと嫁梅漬をたのむ也」
また、当時は家の中で同時期に家畜やペットが出産すると、安産運が動物に取られて、人間は難産になるという俗信がありました。
「嫁はもふ猫の身持を里へ遣り」
妊娠中の猫を実家に返す場合も。身重状態で環境が変化してしまう猫のその後が心配です。
動物を遠ざけつつも、多産&安産の犬にはあやかろうとしていました。
「戌の日に哂の売れる閨年」
戌の日に腹帯を巻く風習は今も残っています。閏年には懐妊しやすいという迷信があり、「閏年には小槌を見ても孕む」ということわざまであったそうです。小槌......たしかに性的な形に思えてきます。
「戌の日に嫁はづかしい帯をする」
「戌の日に婆々しっぽを振ってくる」
婆々とは、取り上げる産婆さんのことです。帯の締め方など伝授してくれます。
「月の帯花嫁雪のはだへ〆め」
「岩田帯これは出雲のこまむすび」
小間結びは解けにくい結び方。腹帯には、迷信的な意味だけでなく、お腹を固定するとか妊娠線予防とか実用的な効果もあったからこそ、現代にも続いている風習なのでしょう。
 妊婦さんにはさらに大きな通過儀礼というか試練がありました。当時、妊娠が確定すると眉を剃り落すという風習が。
「医者の来たあくる日おしい物を取り」
「折れ込むをあいずに花を嫁おとし」
「折れ込む」とは江戸の言葉で「妊娠する」という意味。妊婦になると「花嫁」の「花」が取れて「嫁」になる、という意味もかかっている句です。
「花に実がなると毛虫をおっことし」
「満月になると三か月落す也」
など、自然現象になぞらえた川柳もありました。
「一刀の下に花嫁ふるくなり」
これは男性目線の川柳でしょうか。古くなるなんてちょっとあんまりな言い方です。ひどいといえば、
「嫁はもふ黒吉になる恥しさ」
「おばが来て黒吉にする恥かしさ」
という川柳も衝撃的でした。妊娠した女性を「黒吉」と呼ぶのは、乳首が黒くなる妊婦の変化を表しているそうです。眉はないしお歯黒だし乳首は黒いしつわりだし......と今以上にハンデと試練が多い江戸時代の妊婦。でも出産し、母になった喜びで全てはかき消されるのでしょう。
 そもそも江戸時代の春画を見ても、ほとんどは着衣のままいたしていて、女性の胸はそれほど重視していなかった節があります。乳首が黒くなっても、とくに注目されないし大丈夫だったのかもしれません。ほぼセクハラな「黒吉」という呼び名を付けられても受け入れていた江戸時代の女性の寛大さに畏怖の念を抱きました。


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著者について

辛酸なめ子(しんさんなめこ)。東京都千代田区生まれ、埼玉育ち。漫画家、コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部デザイン学科卒。様々な事象を鋭い観察眼で取材。執筆活動の合間にテレビ、ラジオにも出演。週刊文春をはじめ多様な媒体で連載をもつ。著書に『女子校育ち』(ちくまプリマー新書)『女子の国はいつも内戦』(河出書房新社)『女の人生すごろく』(マガジンハウス)『なめ単』(朝日新聞出版)など多数。